つれづれなる風 二の蔵




 


保存データ:2016.12.9〜2017.3.5


これ以降のデータはつれづれなる風・三の蔵をご覧ください。


マンション理事会おもしろ体験記
【番外編】管理士事務所訪問


 はじめから番外編もおかしいが、本編は長くなりそうだから、ここから始めることにする。

 ぼくはここ1カ月の間、マンション管理士事務所巡りをしている。話せば長いことになるが(このことについては、改めて書きたいと思っている。)、今自分が住むマンションのコンサルタントとして依頼したいというのが主な理由である。
 要約するとこういうことだ。今年度、マンション管理組合の理事の仕事が輪番で回ってきた。できればやりたくなかったし、できるだけ早く終わってほしかった理事職だが、やっていく中で「これでいいのか?」と思うようなことがたくさん出てきた。特にマンション管理会社との関係だ。管理会社の報告や提案に対して、こちらは素人集団だからだからまともに対応できない。結果、管理会社のペースで進んでいく。ここはやはり専門家に入ってもらい、適切なアドバイスをもらい、管理会社との緊張関係を築かなければならないと思い立った。そのコンサルタントがマンション管理士というわけだ。
 マンション管理士は、ネットで探せばいくらでも見つかるし、詳細もあまた書かれている。場合によっては当地まで足を運んでくれる管理士もいる。しかし、やはりその事務所に行き、代表者と会って直接お話しした方が実態をつかみやすいと思っている。もちろん、自分に人を見抜く目があるとうぬぼれているわけではない。やすやすと騙されてしまうこともあるかもしれない。それでも、それも含めて実感としての印象を得たい。
 ネットの情報が全てあてにならないわけではない。あてになる事もあれば、そうでないこともある。必要な情報だけ仕入れ、あとは自分の体感で確かめたい。メールよりは電話、電話よりは直接会うのが自分流のやり方だ。

 今のところ、理事会で決定して動いているわけではなく、あくまでも個人的な活動にすぎない。どこに行くのにもお金はかかる。それは自分の財布から捻出するしかない。時間は売るほどあるが、経済的には人から支援してもらいたいほどだ。初めのうちは、無理だとわかっていても、せめて管理組合の理事会で交通費ぐらい出してくれないものか、などとみみっちいことを考えていた。ところが、だんだん面白みが出てきた。
 代表者とはいえ、とにかく多種多様な方がいらっしゃる。若いが意欲的に事業展開しているひと、マンション管理というより自治を目指しているのではないかと思われるようなひと、自分の築き上げてきたノーハウを巧みに仕事に活かしているひと、事業内容やご自分の事を飾ることなく正直に話してくださるひと等々、当方として対応に飽きることはない。まるで自分が記者で、インタビューをしているような気分になる。
 事務所の業態にも様々である。株式会社・有限会社・個人事務所など。場所も銀座・渋谷という都心から、「下町」と言われるようなところ、多摩地方など。事務所の場所が取り取りなら、規模も大小ある。もちろん、小さいからダメ、大きいから良いとは限らない。そのあたりのことで偏見は持たないようにしている。むしろ事務所の雰囲気や従業員の対応がポイントになると思っている。代表者については前述のとおりだ。
 こういう関係の作り方をしていると、先々、仕事を断る時がきつくなるだろう。けれど決定権は理事会(最終的には管理組合)にある。どこかの社を一つ選び、他の会社は断ることになるのは必然だ。辛い局面だが、せめてきちんと(できれば訪問して)報告しなければなるまいと思っている。これも自分流儀だ。

 マンション管理士にお会いして、こちらの理事会の様子をお話しすると必ず言われることがある。「気づいた人がやるしかありませんよ」「お仲間を増やすことです」、主体的に、積極的にやること、そして仲間づくりということだ。どちらもぼくには苦手なことだ。でもやるしかないのか。
 そろそろ事務所巡りをやめて、一覧表にまとめなければならないのだが、これで終わりにするのが惜しい気さえする。効率的でない時間の使い方が、余計な出費が、総じて無駄と思えるようなことが、自分の財産になるのではないかと思えるようにもなってきた。
 代表者との面談では、マンション管理士事務所の概要やマンションのことといった本筋の話から、本来の目的とは関係ない山の話や、日本酒の話に迷い込み、盛り上がってしまうことも多い。それはそれで、僕にとっては楽しいことだ。だからというわけではないが、マンションで主体的に、地道に活動するより、こちらの「記者活動」のほうが魅力的にも思えてきた。だが、そうもいくまい。足を地につけて活動するときが、すぐそこまで来ているから。
(つづく)
(2017.3.5)



あるく

 息が切れる。少し歩くだけでも、マラソンをしているように呼吸が乱れる。口呼吸をすると少しだけ楽になった気がする。心臓機能障害という内部障害は理解されにくいということが、この頃やっと分かってきた。
 心臓の拡張機能障害、ぼくの障害の状態を名付ければこういうことになる。つまり心臓が体内の血液を呼び込むときの機能が弱まり、結果として肺に血液が送り込まれにくくなり、呼吸が苦しくなる。大きな原因は2回の心臓手術にあるようだが、ほかにも原因があるかもしれない。
 だからと言って、動かなければいいというものでもない。人間は活動することで体調が保たれる。それに動かないでいれば、筋肉はやせ衰えていくばかりだ。動くこと、活動することは動物の基本だ。

 体調が悪くなる前から、いやもっと以前、山に頻繁に通っていた時から、持久力=心肺機能を高め、足腰の筋肉を鍛えるため、毎朝のウォーキングを続けていた。負荷をかけるため、時には荷物を背負って歩いたこともある。今もその延長として、毎朝の散歩は続けている。しかし、もっぱら体力の現状維持のため。歩く速度も、絶頂期と比べるときわめて遅い。ゆっくりでなければ歩けないのが実情だ。
 以前は「トレーニング」だったが、今は「お散歩」。「お散歩」にしては、ぎりぎりの苦しさに耐えて歩き続けている。こんな苦しいことをしていたら、逆に心臓に悪いのではないかと思うこともあるが、やらないと気が済まない。ペースはだんだん落ちてくるだろうが、きっとやれなくなるまで続けるのだろう。

 最近よく歩いている。「歩いている」と言っても、朝の「お散歩」のことではない。以前なら自転車やバイク・車で出かけていたところにも、歩いて行くようになった。きっかけは肩を脱臼したことだった(2015.5.14「脱臼」参照)。それまで安易に利用していた車などの移動手段を見直すきっかけになった。働いていた時と比べて、時間の制約が少なくなくなったこともあるかもしれない。急ぐ必要が縮減されるというのは有利な条件だ。
 以前だったら、すぐ近くのスーパーにだって自転車に乗って出かけた。歩いて行くのはせいぜい500m圏内。目的地まで1kmあれば、文句なく自転車での移動だった。これにお買い物の荷物の加重や、雨や風などのマイナスの気象条件が加われば、自動車へと移行していく。
 だが、歩き始めて気が付いた。何度か同じコースを歩いてしまうと、そこを歩くことが当然になり、今まで歩かなかったのが不思議なくらいに思える。それに実際に歩いてみると、今まで遠いと思っていたところでも、意外と近いのだと再認識するようになる。また、同じコースばかりではつまらないから寄り道・回り道をする。すると、今まで気づかなかったお店を発見したり、街角の思いがけない風景に小さな驚きを感じたり、抜け道の発見という楽しみがあったりする。
 歩き慣れてくると、次第に距離も伸びてくる。ぼくの住んでいる市は小さいので、はじからはじまで歩いても1時間もかからない。まっすぐに歩けるわけではないから、新たなルートを開拓して楽しんでいる。時には隣の市まで遠征もする。上り坂はきついから、なるべく平らなコースを歩く。これに電車やバスといった公共交通機関を絡めれば、さらに移動範囲は広がり、様々なコース選択が可能になる。
 ついでに言うと、今ではスマホのアプリで万歩計や、移動過程や累計距離を自動で記録してくれるものある。これがけっこう励みになる。本当は山歩きで使いたかったアプリだが、それが困難になった今、街歩きに利用している。

 考えてみれば、自動車に代表される個人的な移動手段が大衆に広がったのは、世界規模で見ても100年ほど前、日本に限っても50年ほど前だろう。それ以前の日本ではオートバイや自転車。さらに昔は、馬やかごなどがあったにしても、大衆的な乗り物ではなかった。
 江戸時代の移動手段は、陸上では徒歩に限られていたと言ってもいい。歩くのが当たり前で、旅の移動はどこまでも徒歩だった。しかも道路の状態は、今と比べれば劣悪だったろう。道も今ほど発達していなかったに違いない。いや、道すらないところを移動する場合だって少なくなかったのではないか。さらに足元はわらじが主体だ。いっぽう、現代の人たちが歩くのは舗装された道、足元は靴底のしっかりしたウォーキングシューズ。歩くのを嫌がっていてはバチが当たるというものではないか。
(2017.1.27)



謝らない人々

 12月28日の夕刊(東京新聞)に、2人の人物が握手している写真が掲載されている。一枚は真珠湾を背景に深刻な表情で向き合って握手、もう一枚はハワイのアメリカ太平洋軍司令部でにこやかに手を差し伸べている画像だ。言わずと知れたオバマ大統領と安倍首相である。
 今年の5月27日に、オバマ大統領は広島を訪れ、安倍首相とともに平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花し黙とうした。双方の所感発表があったが、オバマ大統領による謝罪の言葉はなかった。被爆者と直接言葉を交わしたオバマ大統領は、被爆者の森重昭さんをそっと抱きしめ、これがマスコミに取り上げられ、大いに評判にもなった。
 ハワイでもこの猿真似が行われた。安倍首相はアリゾナ記念館で献花し慰霊。その後の演説では「不戦の誓い」を強調し、「和解の力」の象徴である日米同盟(日米安保条約=日米軍事同盟)を「希望の同盟」と呼ぶ。しかし、日本が引き起こした「大東亜戦争」に対する謝罪の言葉はない。その後、参加者のアメリカ退役軍人を抱擁。ここまでオバマ大統領のコピーだ。
 「SEALDs琉球」の元山仁士郎さんは「安倍首相は日米関係を希望の同盟と強調したが、沖縄にとっては絶望の同盟になりつつある」(東京新聞夕刊)と訴える。

 そういえば、昨年の年末(12月28日)には日韓外相会談が行われ、従軍慰安婦問題が当事者の頭越しに「最終的かつ不可逆的に解決」された。これ以上、二度と安倍首相は謝らないことを世界に表明したのだ。ハワイでの演説は、この誓いを守ったといえばいえる。
 安倍首相は、その言葉どおり今後も謝ることはないだろう。まして、かつて侵略し、膨大で残虐な苦痛を与えたアジアの人々に対しては。過去の行為をあいまいにしてぼかし、金で解決し、無かったことにしようとしてさえいる。
 ドイツの故ワイツゼッカー大統領の言葉を引くまでもなく、過去に目を閉ざすものに現在は正しく反映されず、未来を語る資格などない。過去の行いを謝罪しない点においてはオバマ大統領と同じだが、その猿真似をしているようでは、輝ける未来など到底期待できない。
(2016.12.29)



【本の紹介】
『「南京事件」を調査せよ』

 清水 潔 著(文芸春秋)1500円+税

 「なんで今更?」というのが本を手に取った最初の感想だった。
 ぼくらの世代(あまり好きな言葉でではないが、「団塊世代」とも言われる)の者にとって、南京大虐殺は既定の歴史的事実。さらには平頂山事件・重慶無差別爆撃中などとともに、日本帝国主義による中国侵略過程で起きた記憶すべき負の遺産だ。
 南京大虐殺は、さかのぼれば本多勝一『中国の旅』(朝日新聞社)や藤原彰『天皇の軍隊と日中戦争』(大月書店)などで明らかにされている。また関連図書として、中国帰還者連絡会編『三光』(光文社)や関東軍731部隊の実態を描いた森村誠一『悪魔の飽食』(光文社)などもあげられる。
 それをこと改めて「調査」というからには、調査しなければならない実態・反証があったということか。確かに、現政権の歴史に対する姿勢(歴史修正主義・「自虐史観」攻撃)などを見るとわからないではない。
 さらに、ネットの世界に目をやれば、日本帝国主義の中国・朝鮮侵略やその加害実態に対して否定的な文言がぞろぞろと出てくる。政権の姿勢に影響を受けたものか、そのような者たちが現政権を支えているのか。どちらが卵でどちらが鶏か。
 マスコミの影響も否定できないだろう。ジャーナリズムと政権の間に緊張感はあるか。政権の顏色を伺うマスメディアも多い。このような状況のでは、改めて「調査」することも必要になるのかもしれない。著者の意図はそこにもあるだろう。

 本書の前身として、2015年10月4日に日本テレビから放映された「NNNドキュメント『南京事件 兵士たちの証言』」がある。著者はこのドキュメントの調査報道記者だ(報道内容は以下のサイトから見ることができるので、ぜひご覧になってほしいhttp://www.dailymotion.com/video/x38lb8r)。
 著者は、テレビ番組の中で表現しきれなかった内容を伝えようとする。そのなかで、なぜ人々がこの事件を否定しようとするのか、なぜマスメディアはこの事件から目をそらすのか、一次的な当事者でなはない我々は本当に戦争とは無関係なのかという視点を持ち続ける。そしてついには、著者自身との関連において日清戦争のさいの「旅順虐殺事件」にまでたどり着く。
 「まえがき」で著者はこのように述べている。
  本書は、戦争をほとんど知らなかった事件記者が、ひたすら調べ続けて書いたものだ。だからこそ、戦争
  を知らぬ人に読んで欲しいと願っている。

 「戦争を知らぬ人」ばかりでなく、加害の事実を否定している人や、忘れようとしている人にもぜひ読んでほしい一冊である。

(2016.12.14)




天皇制タブー

 11月23日の東京新聞特報版に右のような記事が載った(記事参照)。
 吉祥寺で行われた天皇制反対のデモに右翼(40名ほど)が押し掛け、デモを先導していた車のフロントガラスが割られたり、横断幕やプラカードが破壊されたり奪われたり、さらには参加者にも右翼は襲いかかり、けが人が出たということだ。しかもその違法行為をした右翼は逮捕すらされていない。周りを500人以上の警官が取り囲んでいたにもかかわらずだ。

 ぼくも以前、反靖国の集会やデモに何度か参加したことがある。例えば、平和遺族会の主催する国会議員の靖国神社参拝に反対するデモ、反天皇制連絡会の反靖国集会やデモなどである。旧事に属するほど以前になるが、平和遺族会のデモの時にはそれほど物々しいとは感じなかった。それでも警察の警備や右翼の抗議・妨害はあったように思う。しかし、ここ数年の反天連のデモの際には、異常なまでの警備と右翼の妨害がある。
 まず、集会会場に入るときから警察の厳重な警備がある。(警察の)バリケードを通り抜けるとき、「デモに参加するのか?」と問われたこともある。「そんなことわかるか!」と言い返したが、ここですでに嫌気がさしてリターンしてしまう人もいるだろう。
 集会終了後のデモも両脇を機動隊員の壁に囲まれ移動する。これでは周りの市民は何が起きているかさえわからない。スピーカーから発せられるシュプレヒコールがかろうじてその存在を誇示する。街頭では日の丸を掲げた右翼が悪口雑言を大音量で流す。乱闘服を着用した右翼が殴りかかろうとして機動隊の壁に阻まれるなどという場面もしばしば出来する。靖国神社周辺ではその妨害行為がピークに達する。良くも悪くも、この時ばかりは警察に守られているという実感がある。主催者は、「機動隊はデモの妨害をやめろ! 公安はデモ隊を撮影するな!」など抗議するが、もし警官が引き揚げてしまったらどうなるのかと、臆病なぼくなどは複雑な心境だ。
 デモに参加するにあたっては、このような妨害や恐怖を覚悟しなければならない。もちろん妨害や恐怖があるからこそ参加するという強者もいるだろう。だが、多くはその段階で二の足を踏んでしまうのではないか。げんにぼくなどは、体力的に自信がなくなってからは(金銭面での参加にとどまり)不参加を決め込んでいる。「憲法原理主義者」でありながら「第一章廃止派」を自認している自分としては、心穏やかならざるものがあるのだが……。

 天皇制について反対する我々のような者もいれば、賛成する者もいるだろう。理解はできないが、否定はしない。しかし、デモ行進における右翼の行為は単なる反対行動ではなくて、デモという表現手段の否定である。暴行・恐喝という犯罪行為だ。周りには警察官が取り囲んでいる。公安も写真を撮っている。それにもかかわらず右翼が逮捕されたという話は聞いたことがない。
 さらに不可解に思うのは、これらの違法行為について民主的と言われる他団体が沈黙を決め込んでいることだ。「沈黙を決め込んでいる」と言い切るのは即断にすぎるかもしれない。少なくとも自分の見聞きする範囲においては抗議表明が見られない。
 例えば、どこかの野党勢力が国会で追及したことがあるか。労働団体やナショナルセンターが抗議声明を発表しているか。万が一、政権に批判的な評論家が批判記事を書いたとして、マスコミは報じるだろうか。マスコミも政党も組合も、「天皇制批判」に関わることで、自らが負のイメージを持たれてしまうことを恐れているのだろう。まさに「天皇制タブー」だ。
 東京新聞の記事が特異に映るほどである。他紙はどうだったのだろうか。詳しく調べたわけではないが、取材にすら行っていないだろうし、後追い記事さえも書いてはいないのではないか。

 今でこそ、右翼のターゲットは反天皇制を主張・表明する団体・個人である。権力もそれを許容している。だが何もしなければ、次は戦争反対や反原発を叫ぶ者たち、そして労働組合活動家や市民運動を担う者たち、さらには政権に批判なそぶりを見せる人たち、民族・障害などの少数者と、次第にその範囲は広がっていく。そしてついには一般市民に及んでこないと誰が言いきれるだろうか。対岸の火事と決め込み、抗議すらしないでいると、いつの間にか自分にも火の粉が降りかかってくる。これではまるで、戦争前夜の「いつか来た道」のようではないか。
(2016.12.5)

反天皇制デモを主催した立川自衛隊監視テント村は、物損被害のカンパを呼びかけている。
以下に振込先とカンパを訴えるサイト(救援連絡センター)を記しておきます。
  【11・20天皇制いらないデモ 物損カンパ送付先】
  郵便振替口座:00190-2-560928(口座名「立川自衛隊監視テント村」)
  ※備考欄に「11・20デモカンパ」と必ず明記ください。
http://kyuen.jp/?p=415



続・脱臼

 10月27日に肩の手術をした。22日に東京女子医大に入院し27日に全身麻酔で手術に臨む。11月3日に退院。11月24日現在、近くの病院でリハビリを続けている。
 通常、肩の手術では1週間もあれば退院できるらしい。2週間近くも入院していたのは、血液を固まりにくくする薬(抗凝固剤 : ワーファリン)を飲んでいるためである。すでに2回の心臓手術をし、人工弁が入っているため血栓ができやすい。それを避けるために抗凝固剤を服用している。したがって、肩の手術にあたって血液のコントロールをしなければならない。そのために通常よりは長い入院となった。女子医大で肩の手術をしたのも、前2回の心臓の手術を行ったのがここだったからといわけだ。
 「右反復性肩関節脱臼」というのが診断名。
 肩の脱臼との付き合いも長い。もう20年近くにもなるだろうか。初めての脱臼はスキー場でのこと。山に登るために山スキーを履いてリフトに乗った。降りて滑り出そうとしたが容易に進まない。シール(スキー板の裏側に貼る逆走防止のためのテープのようなもの)が貼ってあったのだ。本来の目的は逆走防止だが、順行でも進みにくい。そのうえ山に登るために大きなザックを担いでいる。リフトは容赦なく体を前に押し出す。結果、前方になぎ倒される形となり、右腕が遅れをとった状態で外れた。右肩が痛く、全く力が入らない。同行の友人に里の病院まで連れて行ってもらい、肩関節を元に戻してもらう。正常にはまっていれば痛くもかゆくもない。しかし、また外れるといけないので三角巾で固定され、不自由な左手生活が3週間ぐらい続いた。
 それから数年後、2度目も事故だった。草取りのためにフェンスを乗り越えたとき、腕をひねった。症状は前回と同じ。すぐに肩が外れたとわかった。この時も近くの病院で入れてもらった。リハビリにも何回か通った。先日亡くなった千代の富士のように、筋肉の鎧をつけることによって外れにくくなると言われた(今回の手術の主治医からは即座に否定された〈注1〉)。リハビリが終わってからは筋トレもした。だが……。
 昨年5月だった。忘れもしない横須賀平和船団の船に同乗させてもらう約束をしてあった当日の未明、何か変だと気付いて目が覚めた。枕元にある電灯スタンドに手を伸ばしたのだろう、右腕が上がったまま動かない。無理に戻そうとすると抵抗があり、痛みが走る。左手で右腕を支え、そのままの姿勢で近くの病院に救急で駆け込む。あとは医師の腕次第。無理やり引っ張って入れるのか、回すようにしてはめ込むのか。レントゲンを処置前・後に2度撮影。とにかく入ってしまえば痛みもなく、腕は正常に動く。早朝に帰宅し、この日は三角巾をつけたまま横須賀に向かう。リハビリこそなかったが、固定状態は数週間続いた。〈注2〉
 その後2度、寝ている状態で外れた。すべて前回と同様で、気が付いたら不自然な姿勢と痛みで目が覚める。あとの対応もほとんど同じだ。救急で受診、レントゲン、処置、レントゲン、早朝帰宅。この2回はさすがに腕の長期の固定もなかった。いちばん最後の時には「これは手術適応だね」と宣言されてしまった。
 なにせ寝ているときに肩が外れるようでは予防のしようもない。しかも、ここ1年ちょっとの間に3回である。また、外れると痛くてなにも(文字通り)手につかない(半面、肩が入ってしまえば何の不自由もなく動かせるが)。夜中の救急外来もしんどい。もろもろ考え、ついに手術を決断したような次第である。

〈注1〉: 千代の富士はもともと投げ技を得意としていたが、(肩の関節のかみ合わせが浅く、脱臼しやすかったこともあって)何度も脱臼に悩まされた。医師からの勧めもあり筋トレにはげみ、筋肉質の体型を手に入れて脱臼を克服したと言われている。しかし私の主治医に言わせるとこれは「迷信」であり、取り組みを投げ技から寄り切りに変えたことによって克服したのだとのこと。
〈注2〉 : この間のことは「脱臼」(「つれづれなる風・一の蔵」(2015.5.14)所収)に掲載。
また、横須賀平和船団のことは「横須賀港」(「街をわたる風・一の蔵」(2015.5.10)所収)に掲載。
(2016.11.24)



【本の紹介】
『関東大震災 朝鮮人虐殺の記録―東京地区別1100の証言―』
西崎雅夫 編著(現代書館)9000円

 南京大虐殺や従軍慰安婦はいうに及ばず、沖縄線における「集団自決」、関東大震災時の朝鮮人虐殺、いずれも、権力の関与を政府が公式には認めようとしていない、あるいは被災者の人数の問題に歪曲しようとしている実態がある。政府自身が歴史を改ざんし、歴史修正主義の先頭に立っている今日、このような本が出版されたことは注目に値する。
 本書の出版の経緯は1982年7月に発足した「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会・準備会」にさかのぼる。しかし、限られた条件下での発掘作業であったために遺骨を発見することはできなかった。また、震災当時の日本政府の方針によって、被災した遺骨はすでに処分されていたことが後日判明した。会の結成以降、会としては毎年追悼式を行ってきたが、さらに「関東大震災時韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」の建立をめざして活動、これを実現する。このような活動にかかわってきた筆者が個人的に資料を収集し、まとめたものが本書である。
 証言者は多岐にわたっている。職業・立場は多彩だ。枢密院議長・作家・演劇評論家・軍人・警察官・社会運動家・歌舞伎役者・在日朝鮮人・住職・画家・実業家・政治家・教員などなど。有名人・無名な人・大人・子供・主婦・書生など年齢層や性別に区別はない。特に子供の証言については著者も注目し、改ざんされた跡などを克明にたどっている。

 話は変わるが、個人的に関東大震災時の朝鮮人迫害・虐殺事件の具体的な実相に触れたのは、加賀乙彦の『永遠の都』においてだった。もちろんそれ以前から歴史的な事実としては知ってはいた。しかし、それはあくまでも知識であって、個人的な体験や、近しい人からの伝聞などによって裏打ちされた間接的な体験でもなかった。
 『永遠の都』には、震災時の様子と朝鮮人迫害・虐殺の様相が時田病院を中心に描かれている。もちろん小説である以上事実そのものとは異なる。しかし、当時の様子は伝わってくる。本書を読んだときに真っ先に思い出したのが、『永遠の都』の一場面であった。本書に記録された証言は、個人的にはこの小説の延長線上にあった。

 『関東大震災 朝鮮人虐殺の記録』は500ページを超える大著だが、この本のすべてを読む必要はないだろう。まずは自分の住んでいる地域や周辺の地域の証言を読み、次に興味のある地域に進めばよい。それだけでもずいぶんと歴史が身近に感じられることだろう。本書によって歴史的な事実に幾層もの肉付けをし、実相に迫ることができる。また、証言の積み重ねという手法で歴史的な事実に迫ろうとする本記録集は、我々が歴史を考えるときの素材としても充分役立つだろう。
(2016.10.10



追記 :
 『関東大震災 朝鮮人虐殺の記録』の未読の部分に目を通し、再読もしてみた。今回は2度目ということもあって気になったところがいくつか出てきた。
 そのひとつが本書にたびたび登場する「内田良平[政治活動家]」という人物。日にちも1日から4日までまちまちで、場所も荒川区・葛飾区・北区・江東区・品川区・渋谷区・新宿区・墨田区・世田谷区・台東区・千代田区・豊島区及んでいる。こんなに多くの記述があれば、いやでも目についてしまう。自らの体験談として記述しているわけではなく、事実をそのまま記すという体裁をとっている。まあそうであろう、被災し混乱しただ大震災直後の東京をこれほどあちこち飛び回れるわけもない。ただし、誰それからの伝聞との記載もない。
 巻末に「証言者・人名索引」がある。ここにも「内田良平」の名のもとに掲載ページが多数記載されている。いや、もっと多数のページ数を誇っている人名がある。「姜徳相」と「琴秉洞」だ(名前からして朝鮮半島の出身者であることが想像できる)。両氏の編集による『現代史資料6・関東大震災と朝鮮人』(みすず書房1963年)内田良平氏の冊子(『震災善(ママ)後の経綸に就いて』1923年)が掲載されている。それを孫引きしたものが『関東大震災 朝鮮人虐殺の記録』に載っているのだから、当たり前といえば当たり前のことだ。本書には、両氏のこの著作以外からも採録されているので、ページ数は当然内田良平氏を凌ぐこととなる。
 内田良平氏や姜徳相氏・琴秉洞氏がどのような人物であるか。『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』においてはいっさいの注釈がない。もちろんここで解説するつもりもない。むしろそのような先入観を排して記録したことに本書の真の価値がある。

 気になったことのふたつ目は前述のことと関連するのだが、警察関係者の証言である(軍関係者の証言は少ない)。一般には軍隊や警察(つまり権力の側)が中心となって流言飛語をあおり、在郷軍人や自警団が加わって朝鮮人(や社会主義者)を虐殺したというのが定説になっている。もちろんここでの証言にもそれをうかがわせるものが少なくない。しかし、被害者保護に動いた例もなくはないのではないかと思わせる証言もある。「保護」なのか「検束」なのか、それが充分に機能したか否かはともかく、主観的には保護すべくたち働いた事例も皆無とはいえないように感じられる証言である。被害者からすれば「蜘蛛の糸」のように頼りないものであったとしても……。
 ここでは、それがあったかどうかということを問題にしたいのではない。そのような証言をフィルターにかけず、すべて取り上げていることにこそ本書の意義があると言いたいのだ。そのような証言が出てきた経緯や、証言者の立場・思想は読者が調べ、証言の真偽を判断すればいい。
 同様のことが、多数載せられている新聞報道についても言える。ここでも、新聞報道も客観的な事実として取り上げられているわけではないだろう。私たちは、その新聞報道をとりまく時代背景・政治状況などを理解したうえで受け止めなければならない。

 これらのことは、現代においても全く同じ意味を持っている。インターネット社会となった今日、ネット上に跋扈する幾多の言葉から事実と非事実をえり分けられなければ、またその勇気をもたなければ、流言飛語に惑わされた大震災時の民衆の二の舞になってしまうだろう。
(2016.11.24)

追記2 :
 内田氏、ならびに姜徳相氏・琴秉洞氏を調べる場合、インターネットが最も手軽だ。だが、ネットで調べられる情報には信憑性に欠ける面がある。引用した文章の出所が記されている場合、またその資料が手に入る場合は、出典に直接にあたるほうが間違いは少ない。幸いその『現代資料集6 関東大震災と朝鮮人』(みすず書房)は容易に手にすることができた。
 「追記 : 」で示した「内田良平」のことも、警察関係の証言のことも、新聞記事のことも、これを見れば網羅的に知ることができる。そのほかにも、多岐にわたる資料がここには掲載されている。また、当時の写真や発行文書・絵図などを写真にしたものも巻頭に示されている。
 ここでは詳しく述べることを控えるが、できればこの本を直接手にしてほしい。もう廃刊になった書籍だが、図書館などで手に入れることはできるだろう。第一次資料ではないが、『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』を契機として『現代資料集6 関東大震災と朝鮮人』にたどり着くことには意義がある。
 そして、『現代資料集6 関東大震災と朝鮮人』の資料を見る前に、先ず本書の「資料解説」を読まれることをお勧めしたい。取り上げられている資料について、その背景、取り上げた理由、内容に対するコメント・批評、資料的な価値などについて解説されているからだ。
 『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』はそれだけでも貴重な資料だが、『現代資料集6 関東大震災と朝鮮人』と合わせて読むことで、より重層的に当時の様子を知ることができるだろう。
(2016.12.6)



【本の紹介】
『あたらしい憲法草案のはなし』
(太郎次郎社エディタス)自爆連 著 741円+税

 『あたらしい憲法のはなし』(写真上)は、憲法を解説する教科書として文部省が中学1年生向けに発行したもので、敗戦後数年間使われたが、朝鮮戦争勃発とともに使用されなくなった。戦後民主主義教育が後退し、その頃は反動化の嵐が吹き荒れていた時期となる。
 1949年生まれのぼくらの世代が小学校に入学したころには、当然使われていなかったので、直接目にしたことはない。しかし後年、教育労働運動の中で手にする機会があり、文部省もかつてはこんな立派なものを発行していたのだと感心したり、現今の文部省の姿勢との対比を皮肉に感じたりしたものだ。
 憲法改悪が俎上にのぼってしまった本年、『あたらしい憲法草案のはなし』(写真下)という本が発行された。当然のことながら、『あたらしい憲法のはなし』を下敷きにして自民党憲法草案を取り上げたものだ。著者は「自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合(自爆連)」という集団。発行元は太郎次郎社エディタス。ぼくらにとって太郎次郎社と言えば、『ひと』という雑誌がすぐに思い浮かぶ。算数教育の「水道方式」を提唱した遠山啓さんの編集によるもので、面白くて役に立つ教育実践を多く取り上げていた。憲法問題に関心を持つ仲間の紹介で知ったのだが、こんなところで太郎次郎社(その関連の出版社)に再会するとは思わなかった。

 さて、『あたらしい憲法草案のはなし』だが、もちろん自民党憲法草案を実現するために書かれたものではない。草案の中身をわかりやすくかみ砕いて、批判的に皮肉を込めて解説している。例えばこんな具合だ。
 「◆憲法の三原則が変わります /(前略)日本国憲法の三原則とはつぎの三つをさします。/一、国民主権/一、戦争放棄 /一、基本的人権の尊重 (中略)/憲法草案、すなわちあたらしい憲法の三原則はつぎの三つです。/一、国民主権の縮小/一、戦争放棄の放棄/一、基本的人権の制限」(P12)※「/」は改行 以下同じ
 「三 戦争放棄の放棄」では「◆平和主義の考え方がかわります /いまの憲法の第二章には「戦争の放棄」という題がついています。あたらしい憲法草案では、この題が「安全保障」に変わります。安全保障というのは「軍事」のことです。/いまの九条は二つの条文からなりたっています。/ひとつめは〈日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する〉というものです。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」というのは、自分の国のつごうで他の国をこうげきする侵略戦争の意味です。/(中略)憲法草案も、この条項はうけついでいます。このさき、なにがおこるかわかりませんので、「永久に放棄する」ということばはけずられましたが、あたらしい九条になっても、侵略戦争をしてはいけないという原則は変わりませんし、「平和主義」という原則も、もちろんいままでどおりです。/ただし、「平和主義」の中身がこれまでとは変わるのです。日本は「戦争の放棄」を放棄して、軍事力を自由に行使する(使う)ことのできる国になるのです。」(P23〜24)と解説される。
 さらに、「◆積極的平和主義をうちだします /九条の二つめの条文は〈前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない〉というものです。/(中略)憲法草案では、九条二項はつぎのように書きかえられています。/〈前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない〉/条文がこのように変われば、日本は正々堂々と、自衛のための戦争ができるようになるのです。しかも「自衛権の発動」には制限がもうけられていませんので、自分の国を守るためなら「どんな戦争をしてもよい」ことになります。いままでの九条は戦争をしないためのブレーキでしたが、あたらしい九条は、戦争をしやすくするためのアクセルといってもいいでしょう。自民党ではこれを「積極的平和主義」と呼んでいます。」(P24〜26)と続く。

 全てに渡って紹介することはできないが、「国民主権と国家主権」「個人と人」「公共の福祉と公益及び公の秩序」「個人主義と家族主義」「権利と義務」などについてわかりやすく、かつ自民党の意を汲んだかの如く丁寧に解説されている。それは改憲派の宣伝文のようですらある。
 自民党の憲法草案が国家の権限を強化し、個人の権利をはく奪するものであることが、改憲派の言葉で明らかにされていく様は痛快ですらある。しかし、面白がってばかりいられる状況ではない。なんといっても、国会の改憲勢力は3分の2を超えているのだから。
 自民党の憲法草案の危険性を知るために、本書が「爆発的に」広がることを望みたい。
(2016.9.2)



8.15

皆さん
 今年の8月15日、皆さんはどこかにお出かけの予定はあるのでしょうか。
 まさか靖国神社に参拝ということはないでしょうが、靖国神社にでかけてみるのも悪くはないと思います。そこには現在の日本の(異様さも含めた)縮図とも言うべき光景が見られます。

 もう何年も前から、5.3と8.15には自分の意思表示として必ずどこかの集会や示威行動に出かけています。自己満足的な行動と言われればその通りかもしれませんが、漫然とこの日を過ごしていてはならないという気負った思いがありました。
 5.3はこのところずっと改憲反対の憲法集会に行っています。8.15は、数年前まで平和遺族会全国連絡会主催による首相や閣僚の靖国参拝抗議集会とデモに参加していました。しかしながら、会のメンバーの高齢化のためもあってここ何年かは集会のみの実施になり、デモは行なわれないままになっています。集会も必要だが、むしろ示威行為のほうが重要だと考える自分としては、いきおい別の団体の主催する集会とデモに参加するようになりました。靖国神社の周りでは右翼の嫌がらせや、時には暴力的な抗議行動も行われ緊張感が高まります。

 しかし、体調悪化のために自分の体力に自信がなくなった昨年は、再び平和遺族会全国連絡会主催の集会に参加してみました。テーマは「戦後70年 アジア・太平洋戦争の反省の下に憲法を活かそう! 『安保法制』を廃案に! 再び遺族をつくらせないために」。連絡会代表の西川重則氏と憲法学者の木村草太氏の講演がありました。会場は靖国神社の近くの日本キリスト教団九段教会。
 集会の終了後は地下鉄「九段下」駅に向かうため靖国神社の参道近くを歩きます。そこはまるでお祭りに向かう人々が行き交うような光景が広がっていました。お祭りと違うのは正装した人々が多いこと、屋台の代わりに「憲法改正を実現する1000万人賛同署名」(美しい日本の憲法をつくる国民の会)を求めるブース、新しい歴史教科書をつくる会の署名集め、右翼の街宣車や日章旗の林立。

 まもなく8.15がおとずれます。今年も残念ながらデモには参加できません。万一の時にとっさの対応もできない自分としては自信がないからです。元気な皆さんにはぜひデモにも参加してほしいところです。数少ないですが、反靖国の行動は開かれています。なかにはデモを計画しているところもあるでしょう。政党や労働組合が表立って反対を表明し、反対行動に立ち上がることがほとんど見られなくなってしまった昨今、このような行動は貴重だと思います。
 デモは計画されていませんが、次善の策として平和遺族会全国連絡会の集会に参加するつもりです。詳しくは添付のチラシをご覧ください。会場は教育会館一ツ橋ホールです。昨年と比べ、靖国神社から遠ざかってしまったのが気になりますが、テーマの「『安保法制』を発動させないために国会と市民にできることは何か」は時を得たものとなっています。
 もとよりここで回答を得られるとは思っていません。自己満足ではないかとの疑問に答えられるものも持っていません。血が騒ぐというほどの歳でもありません。ただ、止むに止まれぬ思いで足を運びます。

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 以上は8月2日に、同じような問題意識を持っている仲間に宛てて送ったメール。
 今年も反靖国の集会とデモは行われる。8月15日には反天皇制運動連絡会などが呼びかけ団体となっている「『聖断神話』と『原爆神話』を撃つ 8.15 反『靖国』行動」(集会についてのURLは以下記載)。会場:韓国YMCA 3階(JR水道橋駅より徒歩9分、地下鉄神保町駅より徒歩7分) 日時:8月15日(月) 14:30集合/16:00デモ出発
http://2016815.blogspot.jp/

 もう一つは13日だが、「2016 平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動−戦争法の時代と東アジア」(集会についてのURLは以下記載)と題した集会とデモ。弁護士の内田雅敏さんなどが実行委員会の共同代表となって行われる。会場:韓国YMCA・スペースY(前記集会と同じ建物) 日時:8月13日(土)13:30〜18:30 /19:00キャンドル・デモ出発
http://peace-candle.net/node/237
※チラシは→こちら

 併せて、平和遺族会全国連絡会が主催する「『安保法制』を発動させないために国会と市民にできることは何か」のチラシも添付しておく。会場:日本教育会館(地下鉄都営新宿線・東京メトロ半蔵門線神保駅徒歩3分) 日時:8月15日(月)9:30開場
※チラシは→こちら
(2016.8.10)



夏の夜の憂さ晴らし

 広島の原爆の日に、広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長は安倍首相に次のように伝えたという。「憲法は原爆投下の悲劇をもたらした戦争の反省から生まれた。死没者の遺言だ。改憲の企ての中止を求める」。あわせて安保法の撤回も求めたが、首相は「平和な暮らしを守る必要不可欠なもの」と拒否し、改憲については答えなかったという(2016.8.7東京新聞)。吉岡さんは昨年の会見でも安全保障関連法の撤回を要請したが、翌月に強行採決で成立(?)させられた。被爆者の悲痛な訴えにも聞く耳を持とうともしない安倍政権。第三次改造内閣では核武装を説く稲田朋美が防衛大臣についた。
 嘆かわしい限りだが、嘆いててるばかりでは、ストレスがたまるだけだ。ストレス発散にもなろうと、またまた替え歌を作ってみた。元歌は、細川たかし「心のこり」。出来は良くないが、歌ってみることで少しは憂さ晴らしになるかもしれない。

※コード付きの歌詞も用意しました。→こちら
(2016.8.7)

替え歌:心のこり
アベはバカよね

アベはバカよね おバカさんよね
憲法の 憲法の 9条を 
改憲一つに命をかけて
壊してきたのよ 今日まで
秋風が吹く 尖閣の海
軍艦が出ていくように
隊員も去っていくわ 明日の命もしれぬままに

アベはバカよね おバカさんよね
大切な 大切な 9条を
悪いことだと 知っていながら
壊してしまった 内閣で
秋風の中 枯葉がひとつ
枝をはなれるように
隊員が消えていくわ 国のためだと言われるままに

アベはバカよね おバカさんよね
あきらめが あきらめが 悪いのね
一度はなれた 民心は二度と
もどらないのよ もとには
秋風が吹く つめたい空に
鳥が飛び立つように
戦闘機が飛んでいくわ 隊員が泣きながら


心のこり
作詞:なかにし礼 作曲:中村泰士

私バカよね おバカさんよね
うしろ指 うしろ指 さされても
あなた一人に命をかけて
耐えてきたのよ 今日まで
秋風が吹く 港の町を
船が出てゆくように
私も旅に出るわ 明日の朝早く

私バカよね おバカさんよね
大切な 大切な 純情を
わるい人だと 知っていながら
上げてしまった あなたに
秋風の中 枯葉がひとつ
枝をはなれるように
私も旅に出るわ あてもないままに

私バカよね おバカさんよね
あきらめが あきらめが 悪いのね
一度はなれた 心は二度と
もどらないのよ もとには
秋風が吹く つめたい空に
鳥が飛び立つように
私も旅に出るわ 一人泣きながら




差別

 7月26日、入所者19人が死亡、26人が重軽傷を負った相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」での事件が起きた。犯人はこの施設の近くに住む26歳の元職員。施設職員を拘束したうえ、重症の入所者ばかりを狙って次々と切りつけたという。犯行後、犯人は地元警察署に自首。事件後、犯人の「異様な」言動が次々と明らかになる。「障害者は死んだ方がいい」「安楽死させるべきだ」との発言、衆議院議長公邸に「障害者が安楽死できる世界を」とする手紙を手渡すなど。誰もが暗澹たる気持ちになり、犯人への怒りと、起きてしまった事件への悲しみに染められた。

 「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件について、和光大学の最首悟名誉教授が語った言葉が新聞に載っていた。
 「今回の事件は猟奇的な犯行ではない。植松容疑者は『正気』だったと思う。そして、口には出さずとも、内心で彼に共感する人もいるだろう。」(2016.7.30東京新聞特報版)
 最首悟といえば私たちの世代の者にとっては懐かしく、輝かしい名前だ。東大闘争を経て水俣病などに深く関わった市民派の学者として知られる。ご自身のお子さんがダウン症だったことから障害者問題にも積極的に取り組んでいる。
 最首さんのこの指摘は鋭く核心をついている。ご自身の身内が事件の被害者ともなりうる立場にありながら、憤りや悲しみに流されることなく事件や社会をクリアに見つめている。

 加害者が大麻にかかわった可能性のある事、精神病院に措置入院させられた経歴のあることを報道で伝わると、犯人の言動は「異常」で、自分たちとは違う世界の人間だとして人々は納得し、心の安定を得る。いや、反対かもしれない。犯行が常軌を逸しているから犯人は「異常」で、そのことを納得させる理由として大麻や精神病院の措置入院歴が取り上げられる。
 だが、「常軌を逸した」犯行に対して自分たちの想像力が及ばないからと言って、自分とは全く関係のない彼岸の出来事としてしまっていいのだろうか。少なくとも、犯人の考え方・行動は自分たちが形作っている社会の中から発生したものだ。それは明確な障害者差別に基づく行為だ。そのことをもっと重大に考える必要がありはしないだろうか。

 同じことが被害者の側に対しても言えよう。加害者の側に想像力が及ばなかったとして、私たちは被害者の立場にどれほど寄り添えるのか。
 これまでのところ、新聞報道では殺害されてしまった人たちの名前は発表されてはいない。神奈川県警が実名を公表していないのが理由だが、遺族(19家族)の希望によって非公表とした(神奈川県も同様)ようだ。しかし、「通常、県警は殺人事件について、被害者の氏名、住所などを報道機関に広報する。遺族が希望しても匿名発表するケースは極めてまれだ」(8.4東京新聞)という。
 今回のケースが「極めてまれ」というわけか。しかし、氏名を公表することによって被害者の尊厳が脅かされるようなケース(例えば性犯罪に絡む殺人事件)とは明らかに違う。今回の場合、公表することで失われる被害者の尊厳など考えられない。ここで尊重されているのはあくまでも「遺族(≒家族)」の希望なのだ。本人自身の尊厳を考えた場合、そこには疑問の余地がある。誤解されることを承知で言えば、「家族こそが最も近しい差別者」という見方もできなくはない。
 最首さんも同様のことを指摘している。「健常者なら通常、発表して、悲しみを共有する。だが、今回は公表すれば、犠牲者を知る周辺で『(あの人なら)仕方がない』という反応が出ることを恐れているのでは。だが、それは障害者が人間ではない。人間から外れているとみなすことにほかならない。」(引用同前)

 重傷者の場合だが、東京新聞に限って言えば2名匿名(うち1名は成人後見人が関わっている。)、1名が実名報道であった。後者は森慎吾さんとそのご両親。写真入りで掲載されていた。森さんのご家族にしても、これまでずっとその姿勢で過ごされてきたわけではないだろう。時には世間に触れさせたくない思いを抱いたこともあったかもしれない(そして、そのようにさせた世間の一端を私たちが担っている)。しかしこの記事は、暗澹たる思いの中で接してきた今回の殺傷事件関連の報道の中で、ひとすじの光源となって輝いていた。

 話は変わるが、都知事選で在特会(在日特権を許さない市民の会)の桜井誠会長が11万以上の票を得た。在特会は在日韓国・朝鮮の人々に対する激しく、暴力的なヘイトスピーチを目的としたデモ(実質的には脅迫行為)を行っている右翼団体である。そのような団体の代表が11万票以上も得たということは、ヘイトスピーチに対して「内心で彼に共感する人もいる」ことの表れではないか。東京の中で11万人以上もの人たちが在日韓国・朝鮮の人々への差別を肯定しているととらえざるを得ない。

 この国では、民族差別・障害者差別など、少数者・弱者に対する差別がまかり通っている。この事件をきっかけに措置入院の見直しが検討され始めた。15年前の池田小事件をへて2年後、医療観察法が関係者の反対の声を押し切り成立させられた。安楽死法案などの動きもある。
 障害者差別による殺人事件によって、また新たな障害者差別が引き起こされようとしているのではないか。
(2016.8.4)



 花は咲けども

 「花は 花は 花は咲く」という句とメロディーが流れている。ぼくの頭の中で反響しているのだ。そりゃそうだろう、しょっちゅうテレビから聞かされていれば自然に刷り込まれてしまう。NHKの東日本大震災復興応援ソング「花は咲く」。覚えやすいフレーズと耳当たりのいいメロディー。テレビでは、有名・無名の人たちがワンカットごと ソロで歌い、最後に大合唱となるという動画が流される。ありきたりだが、心揺さぶる演出だ。
 だが、どこか嘘っぽく、偽善的なにおいを感じてしまうのはなぜなのだろうか。東北の被災者、特に福島の原発被害にあわれた人たちにとって「花は咲く」はどのように受け止められているのだろう。ぼくにとっては想像することすら難しい。
 「復興応援ソング」なのだから被災当事者は対象に含まれないと言ってしまえばそれまでなのだが、それでは応援する側にとってはどうか。この歌を好んで受け止めているのは被災地以外の応援団、その人たちにとって「花は咲く」を視聴することはどういう意味があるのか。いつまでも忘れない、そして、いつか花咲く復興した東北を祈っている。東北には行けないけれど、心の復興支援をしている自分に感動して涙を流す。そんなゆがんだ心象風景さえ浮かんでくる。
 折もおり、東京新聞(2015.7.6)の特報版に「花は咲く」のアンサーソングとして「花は咲けども」が紹介されていた。〈山形県長井市のフォークグループ「影法師」のオリジナル曲「花は咲けども」が、静かな広がりを見せている。〉とある。
 「アンサーソング」、なんとなく分からぬではないが、僕らの世代にとっては「アンチテーゼ」のほうがぴったりする。それでも、すぐ「これだ!」と飛びついた。

 花は咲けども
    【作詞】あおきふみお
    【作曲】横沢芳一


原子の灰が 降った町にも
変わらぬように 春は訪れ
もぬけの殻の 寂しい町で
それでも草木は 花を咲かせる
花は咲けども 花は咲けども
春を喜ぶ 人はなし
毒を吐きだす 土の上
うらめし、くやしと 花は散る

異郷に追われた人のことなど
知ったことかと浮かれる東京
己の電気が 招いた悲惨に
痛める胸さえ 持ち合わせぬか
花は咲けども 花は咲けども
春を喜ぶ 人はなし
毒を吐きだす 土の上
うらめし、くやしと 花は散る

1年 3年 5年 10年
消えない毒に 人は戻れず
ふるさとの花 恋焦がれて
異郷で果てる 日を待つのか
花は咲けども 花は咲けども
春を喜ぶ 人はなし
毒を吐きだす 土の上
うらめし、くやしと 花は散る

花は咲けども 花は咲けども
春を喜ぶ 人はなし
毒を吐きだす 土の上
うらめし、くやしと 花は散る
 
 ユーチューブで次々と再生して聞き入る。往年の高石ともやとナターシャセブンを彷彿とさせる歌いぶり。また、その高い批判精神はフォークソングの神髄を見る思いだ。

 「影法師」については東京新聞を参照してもらうのもいいが、以下のサイトも参考になる。言語学者、金田一秀穂がインタビューした様子が記事になっている。山形放送が放送した「YBCラジオスペシャル 花は咲けども 〜ある農村フォークグループの40年〜」が放送文化基金賞を受賞したことがもとになっている。「影法師」のことばかりでなく、フォークソングについても触れられている。少し長いが一読する価値はあると思う。
 http://www.hbf.or.jp/magazine/article/hbf2015_vol6

 以下、「影法師」の歌が聴けるユーチューブのサイトを紹介する。
 「花は咲けども」:屋外ライブ版で、メンバーの青木さんが歌の制作経緯についても語っている。
 https://www.youtube.com/watch?v=cfnSFxDBsNI

 「白河以北一山百文」:同じくメッセージ性の強い歌。屋外ライブ版。メンバーの遠藤さんが制作にまつわるお話もしている。
 https://www.youtube.com/watch?v=3YjrXCtUhv4
 上記「白河以北一山百文」は、山形の長井弁で歌っているので、対訳字幕付きを見たい方は以下のサイトをご覧ください。
 https://www.youtube.com/watch?v=2PMwOtekGeQ
(2016.7.8)



それどころじゃない

 期日前投票に行ってきた。投票日当日に出かけたのはいつのことだったろう。思い出せないくらいだから、何十年も期日前投票(不在者投票)を続けてきたことになる。
先日、友人から以下のような動画情報が送られてきた。
 https://www.youtube.com/watch?v=h9x2n5CKhn8&feature=youtu.be
 面白いが、笑ってばかりもいられない。ここに登場する人たちが現政権の中枢にいる。現政権が3分の2の議席を確保すれば憲法改正が議題にのぼってくる。その中心は9条だが、思想・良心・信教の自由や、集会・結社・表現の自由などに制限が加えられる恐れもある。
 しかし、序盤戦の参議院選挙情勢は厳しかった。6月24日の毎日新聞の調査によれば、「改憲勢力が3分の2をうかがう情勢」とある。一人区での野党共闘が実現したが、ねらい通りになっていない傾向がある。直近の終盤戦では、改憲4党が参議院で3分の2の可能性についても指摘されている(東京新聞7月6日)。
 さきの毎日新聞の記事によれば、自民党のベテラン議員は「世の中の人は改憲に興味はない。中国が南シナ海を埋め立て、北朝鮮がミサイルを撃っている時に『安保法廃止、改憲阻止』と訴えても『何を言ってるの?』とあきれられる」と指摘したという。発言内容には問題もあるが、確かに保育園や施設入所もままならない若い母親や介護難民の人たちにとって、安全保障問題や憲法改正は論点になりにくい。心ならずも非正規雇用を掛け持ちし、綱渡りのようにして日々の生活を成り立たせている人々にとっては今の生活の改善が第一だろう。その意味で、経済政策を前面に押し立てて訴える安倍政権の選挙戦略は正しかったとも言えるだろう。野党が批判するように、憲法改正の「争点隠し」という面はあるにしても。
 生活に直結する訴えこそが人々に届きやすい。1996年の衆議院選挙で民主党が政権をとった時もそうだった。「コンクリートから人へ」。小泉政権による新自由主義的な経済政策に疲弊した人々が、すがるような思いで一票を投じたのだ。公共事業への投資よりは社会保障の充実をという訴えが功を奏した。
 生活・労働環境は、小泉政権下よりさらにひどくなっているのに、戦争法反対・憲法改悪反対の声は届きにくい。生活が苦しくなればなるほど、安保も憲法もそれどころではないという逆転現象が生じている。そればかりか、選挙どころじゃないという人々さえいる。
 安全保障のあり方とか憲法問題は、深いところで生活と密着している。安保や憲法は人々の生活を根底から揺るがす影響力を持っている。だからこそ大切な問題なのだが、人々には浸透していきづらいことも事実だ。このように書いている自分にしても、忘れていられればそれが一番楽な身過ぎ世過ぎだ。それを承知したうえで何ができるのか、改めて考えなければならない。
(2016.7.7)



 ネットの功罪

 「30年目と40年目」の続き。
 さきの広島・九州の旅から帰った後、さらに大学時代の友人(女性)の消息を探ることになった。広島や福岡の旧友たちは彼女の連絡先を知らないという。彼らと共通の友人である札幌の旧友も聞いてみたが、分からないとのこと。彼らからは逆に、分かったらぜひ知らせてほしいと期待されてしまったほどだ。
 こちらにもそれらしき記録は残っていない。なにせ5回以上は引っ越しを繰り返していて、記録も散逸してしまっている。実家(生家)に戻ればあるかもしれないが、関係が芳しくなく行きづらい。
 そこで、今では得意技(と言うほどのことではないが……)となったネット検索にかけることにした。相手が実名でホームページでもアップしていれば見つかるかもしれないし、フェイスブックを開いていれば検索で引っかかるかもしれないとの淡い期待を抱いて。
 しかし、下の名前が定かではない。M(マ行)で始まる名前だったようだが、はっきりとはしていない。それに結婚していれば苗字も変わっていることだろう。でも、記憶に残る確かな苗字(旧姓?)と不確かな名前、それに出身地と、最後に聞いた仕事の内容ぐらいが今は手かがりだ。
 ダメもとで始めた作業だから、はずれても落胆はない。それに多少の時間はかかるが、費用の心配はない。さっそくパソコンに向かった。
 まずは名前で検索。フェイスブックやらツイッター・グーグル+、果ては画像までぞろぞろと出てくる。写真を見るがそれらしい人はいない。もちろん40数年の時を経ているので、いても分からなかったかもしれない。同じ氏名があるフェイスブックなどにアクセスしてもいいのだが、もともとの名前が不確かなうえに同姓同名などは履いて捨てるほどもいるだろうから、安易に連絡を取るわけにもいかにない。
 そこで仕事に関連した事業種名と(不確かな)氏名を入力して、さらに確かな県名で絞り込む。そこには何種類かの検索結果が表示された。個人の情報に関わることなので詳しくは書けないのだが、同県で発表された医療関係の論文の筆者や研究会の発表者の氏名が多い。もともとは医療関係の人ではなかったが、もしかしたらそちら方面に舵をきったのかもしれないとは思いつつ、事業種名をもう少し具体的に絞り込んでみた。すると、有力な情報を得た。
 職種はドンピシャ、氏名が間違っていなければ可能性大。事業所の通信の筆者にその氏名があった。通信には、その事業所を「巣立つ」とある。「巣立つ」というのが辞めるということであれば、定年退職が連想される。何年か前の通信なので、逆算するとおおよそ年齢的にも合致する。
 確率的にもかなり高い。でも、まだ直接電話するには迷いがある。ご本人であったとしても、退職していればもうその事業所にはいないはずだ。しかも数年前となれば直接知っている職員が何人いるかも疑問だ。一両日迷いに迷った。その間、他の検索文字列も考えて更にネットにかける。そして直接問い合わせるほかに手はないと判断した時点で電話してみる。
 事業所にはこちらの素性、相手との関係も伝え、ネット検索でここまでたどり着いたこと、本人でない可能性もまだあること、こちらが知っている当人のことを(伝えて迷惑になるほどの内容を知ってはいないが、そのあたりも配慮して)伝えた。もし事業所で当人の連絡先を把握していたとしても教えてくれるとは思えなかったので、当方の連絡先を伝え、「相手方がご本人であれば、ご面倒でも連絡いただきたい」旨お伝え願いたいと依頼した。
 はたして、当日の午後ご本人から電話があった。かなりの確率で的中しているとの感触を得ていたものの、まさかの展開ではあった。ご本人にすれば、突然の連絡で迷惑であったかもしれない。しかし「捜索」が的中した嬉しさと、久々に声を聴けたことの喜びとで、その謝罪をすることも忘れて長々と話し込んでしまった。

 ここからが本題になるのだが、ネットの功罪とはこういうことだ。
 今回の件は、自分にとっては5月の旧友との再会に引き続く自然の流れだったわけだが、果たして相手方にとってはどうだったか。もし迷惑でなかったとしても、慌てるだろうし、戸惑いもするだろう。
 いちどネット上にアップされた情報は、どこまで広がるか分からないし、アップした情報を消去しない限りはいつまでも消えることはない。たとえアップした当人が当該情報を消去しても、コピペされればさらに拡散して残る。それは際どい情報だけではない。たとえ名前だけでも、その他の情報も芋づる式に引っぱり出されてしまう。ネットに載せるということがどういうことか、載せる当事者はどれだけ自覚しているだろうか。便利さだけで安易に載せてしまってはいないか。
 いっぽう、ネットという道具がなければこうは「簡単に」探し得なかっただろう。直接探しに行くとか、新聞広告を出すとかするにはハードルが高すぎる。それほどのモチベーションが当方にあるかどうかも疑問だ。いとも手軽に探し出してしまうことができた。そう「手軽」なのだ。対極には体と時間を膨大に使う「面倒」な世界がある。面倒なことを避けたがる世の中がある。自分もその中に住んでいることを否定できない。
 さきに「実家との芳しからぬ関係」に触れたが、もしそれを避けずに実家に行っていればどうなったか。面倒がらずに行っていれば、必要な情報にたどり着けたかもしれない。もしかすると、好かれ悪しかれ、それ以上の展開もあったかもしれないのだ。
 受ける側にとっても、載せる側にとっても、ネットの世界は便利であることは否定できない事実だろう。時間も距離も縮めてしまうほどの可能性も秘めている。いっぽうで、それに安易に寄りかかることで失われているかもしれない世界を、われわれはどれほど自覚し得ているだろうか。
(2016.7.4)



殺すな!殺されるな!

 東大和9条の会のポスターに記されているポエムについて、佐藤健志氏という人が以下のサイトで揶揄している。たんなる「揶揄」なので取り上げるほどの内容ではないが、気になる点もある。
 http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/06/10/sato-47/

 ポエムの「戦争を受け入れて」が、なぜ佐藤氏のいう「戦争がありうるとすれば、他国の攻撃を受けた場合のみである!」になるのかは理解に苦しむ。ここでいう「受け入れる」は「戦争することを受け入れる」ことであり、憲法9条の戦争放棄という条文をなくすということだろう。国内であろうと国外であろうと戦争をするということを認めることになる。そのようにして他国で戦争を始めた結果、(71年前の日本がそうであったように)自国に戦火が及ぶ可能性は出てくる。
 文脈からすればそう読むのが自然だろう。上記表現は佐藤氏が言う「他国が日本に攻め込んでくる『本土決戦』的状況」を導くための牽強付会にしか思えない。その牽強付会の上に立って、佐藤氏は「『そんな悲惨な事態を引き起こさないためにも、防衛力の強化による安全保障の確立を!』という結論が引き出せませんか?」という自己の主張を述べる。

 ただ、ここで佐藤氏が指摘していることにも一理ある。
 「あなたがその手で誰かを殺」したり、「あなたの父や母や兄弟や友だちや恋人が誰かに殺され」たりすること、そのような状況にならないために、@戦争放棄を定めた9条を守る。A軍備を増強、または他国との同盟関係を強化して自国に戦火が及ばないようにする。
 確かに、このような二つの選択肢は理屈の上では成り立つ。もちろん9条の会では@をとり、現政権や(佐藤氏も)Aを採用するだろう。二つの論理展開は、東大和9条の会のポエムに限らず、原爆の被爆や空襲の悲惨さを取り上げて戦争反対を訴える論調にも続き得る。もっと端折って言ってしまえば、戦争反対、だから@またはAの結論を導くということは論理としては成立する。
 「戦争は反対」とは、戦争放棄の立場をとる人々も、軍備増強を主張する人々も口にする。少なくとも、自ら望んで「戦争をしたい」などとは軍拡論者ですら口にしない。「『自国の利益を守るため』『国民の命を守るため』戦火を交える覚悟がある」という言い方で戦争の火ぶたを切る。

 過去には戦災の悲惨さ(のみ)を訴えて、護憲を主張する民主的な運動も多くみられた。しかし、なかには(一部だったかもしれないが)朝鮮・中国、アジアに対する日本による加害の歴史を掘り起こし、国際連帯の立場から二度と戦争をしない、させないという運動もあった。現在まで連綿として続いているものもある。それは朝日新聞の本多勝一記者による「中国の旅」などが契機になった運動だったり、日本国の加害性に着目したベトナム反戦運動などであったりした。
 歴史修正主義者のいう「自虐史観」とは、これらの見方や運動に対して向けられた悪罵であった。彼らの主張は、他国に対する過去の加害の歴史をなきものにしようとするばかりでなく、現今の軍拡路線を推し進めるための布石にもなっている。
 今、「戦争反対」というときに、自国の悲惨な行く末から帰納するばかりでなく、他国への侵略・加害の立場からの反戦・護憲の訴えがもっと強化されてもいいだろう。自国による侵略・加害性を自覚した運動からは、Aの軍備増強、9条改悪・放棄は決して導きえない。
 このことをもっと一般的に行ってしまえば、「殺すな!」「殺されるな!」ということになる。このスローガンはベトナム反戦運動の時にも唱えられた。今こそ「殺すな!」「殺されるな!」を(その言うところの背景も認識して)、もっと強く訴える必要がありはしないだろうか。
(2016.6.22)



30年目と40年目

 30年以上も前に何年間か付き合いがあり、いろいろお世話にもなったご夫婦がいる。付き合いが途絶える以前に、ご主人はすでに亡くなられていた。もしかするとご主人が亡くなられたことが疎遠になったきっかけかもしれない。今ではその辺の経緯も定かではない。これといった事情や事件があって疎遠になったわけではないので、はっきりしないのも無理からぬことだ。
 その方を仮にAさんとしよう。お付き合いしていたころすでに年齢は50代だったので、もう80代にさしかかっているはずだった。たまたま、Aさん宅で知り合い、とぎれとぎれに付き合いが続いているBさんと会う機会があった。そこで、「そういえば、Aさんはどうしているかね」という話になった。こちらも気にはなりつつ、日常の忙しさにかまけてほっておいたから、改めて調べてみることになった。
 ネット社会となった今日、情報はあふれるほどデジタル世界にある。しかし、著名な人ならばまだしも、一般の市井の人たちがネットの網(同意重複か!?)に引っかかることは少ない。でも、今回はついていた。Aさんの前職にかかわる団体が電話番号と住所を載せていたのだ。
 さっそく電話を入れてみる。ご本人は僕のことをよく覚えていなかったようだが、会えばわかるだろうと直接ご自宅を訪問することにした。
 数日後、手土産を持って訪問。それでもAさんは僕のことをはっきりとは思い出さないようだ。Bさんのことは聞いたことがある程度の記憶状況。話をしていれば記憶もよみがえるだろうと思い、懐かしさもあって一方的に話し続ける。
 そのうち、ご自宅に有名な画家の絵があり、自分が持っていてもしかたないので、その画家になじみのある美術館に寄贈したいといとおっしゃる。こちらは時間に不自由はしていないので、都合がつけばその美術館まで(ご本人を伴って)搬送に協力してもいいと申し出た。そこで一定の了解が成り立ち、美術館へ寄贈したい旨の連絡をAさんに入れてもらう。後日搬送に伺うという約束をしてAさん宅をいったん辞した。
 さて当日。当該美術館に興味があるという友人も伴ってAさん宅に車で向かった。ところが、ご自宅間際というところでAさんから突然の電話。「美術館への寄贈はしばらくやめる」とのこと。突然の申し出に驚くやら、慌てるやら。近くまで来ているので、とりあえずご自宅に伺って詳しい事情をお聞きしたいと伝え、2人でAさん宅に向かう。
 Aさんによると、Aさんの親しくしている人(仮にここでは「Cさん」といておく)が、自分がその絵を見るまで運び出すのをストップさせたらしい。AさんにCさんの連絡先を聞き、その場で電話する。Cさんの対応は極めて悪い。まるでこちらを(直接そうは言わないが、)詐欺師であるかのような口ぶりだ。こちらも不愉快極まりない。でも、絵の持ち主、Aさんがそのようにおっしゃるのだから引き下がるしかない。美術館にも搬入の停止の連絡を入れ、Aさんにも直接話してもらった。
 その日の夕方、当家にCさんから電話が入った。「申し訳なかった。高齢者をだまして高価な品を持ち去る悪党だと疑った。」(要旨であって、言い分はこのままではない。)とのこと。誤解が解けてよかったと思う反面、やり場のない憤りが残ったことも事実である。下手をすると警察沙汰にもなりかねなかった。
 余計なお節介をはすべきではない、との安易な結論を導くつもりはない。確かに30数年ぶりに突然訪問して、少し記憶が定かでなくなっている高齢者の家から絵を運び出すなんて話を聞いたら、自分だって怪しいと思うかもしれない。そんな世の中になっていることも事実だからだ。でも、同じケースに遭遇したらまた同じ「過ち」を犯すかもしれない。どちらが正しいかなんて話ではない。そうせざるを得ない自分を否定したくないからだ。

 さきの事件は30年ぶりの再会でのことだったが、今度は40年ぶりの話。
 5月に広島・九州方面を旅したが、広島と福岡で大学時代の旧友と再会した。会う約束をして出かけたわけではないので、広島では現地で急遽連絡を取り、会ってもらうことにした。年齢を重ねたので、お互いにすぐにわかるだろうかとの不安もあったが、杞憂だった。相手のしぐさや語り口、表情などから40年数年前の友人が立ち現れる。年を経た友人と話しているのではなくて、自分たちが40年前にワープしてしまった感じだ。懐かしい面々の話が飛び出す。すべて覚えているわけではないが、印象的だった場面や出来事は記憶に焼き付いている。
 広島の友人に、新潟の友人経由で福岡の友人の連絡先を教えてもらい、福岡で会えるように折衝する。関連する人たちはすべて40年ぶりなのに、つい昨日別れた友達と連絡を取っているに思える。
 なかなか連絡を取れなかった福岡の友人とも、やっと長崎で連絡が取れた。長崎から直接福岡に向かったわけではない。知覧や桜島まで赴いたのち、折り返して福岡で再会できた。この友人とは、大学時代にはかなり無鉄砲なことをした覚えもある。そんなことなどを懐かしさも込めて口にする。卒業以来いちども会ってない友人たちの名前と消息が互いの間を行きかう。
 東京と福岡、新幹線に乗ってしまえばたったの5時間。これまで来なかったのが不思議なくらいだ。旅の心は遠距離も短く感じさせる。飛んでくるのが当たり前という気になる。会わないでいればそれはそれで当たり前のことなのだけれど、会ってしまえばなぜ今まで会わずにいたのだろうという思いになる。どちらが良いのかということではなく、どちらもあり得るのだ。
 東京に戻ってからも、旅先で感じた友人たちとの身近な距離感が保たれている。北海道や九州が遠いと感じられない。たまたま再会した旧友たちとの再会が、さらにまた他の旧友たちとの再会を呼び起こす予感がある。旧友とのさらなるリンクがすすむだろうか。ここでもまたネット社会の発達が役立つだろう。ネットの世界は距離も縮めるが、はるかな時間の隔たりを飛び越えてしまう可能性も持っているのかもしれない。
(2016.6.18)



オバマの謝罪

 オバマ大統領が広島に来るという発表がなされて以来、原爆投下について謝罪があるかどうかに注目が集まっていた。アメリカ国内では15日にライス大統領補佐官が「興味深いことに日本は謝罪を求めていない。わたしたちが広島で謝罪することはない。」と述べている。「興味深いことに……」確かに興味深い。
 ここで言っている「日本」とは具体的には何を指しているのだろうか。内閣総理大臣・被爆者・日本の世論などいろいろ考えられるが、一般的には行政府の長、内閣総理大臣のことだろう。内閣として謝罪を求めないことをアメリカ側にすでに伝えてあるということになる。謝罪を求めれば中国・朝鮮などに対して行った侵略行為に謝罪しなければならなくなる。アメリカ世論からは真珠湾攻撃に対する謝罪を求められることにもなろう。そんな計算が働いてのことだろう。
 そもそも日本国の代表(戦前にあっては天皇、戦後においては内閣総理大臣)は、国策の誤りによって甚大な被害を与えた国民に対しひとことの謝罪もしていないし、充分な(あるいは全く)補償を行っていない。そんな日本の代表が、加害者たるアメリカに謝罪を要求することはあり得ないだろう。良心を持つものならば、己が国民への謝罪に直結するはずのものだからだ。
 しかし、今の政権にそんな誠実さを期待できないことも事実だ。あまりにも嘘と欺瞞に満ち溢れている。それを許しているマスコミの現状にも救いがたいものがある。

 5月27日、オバマ大統領は現職の大統領としては初めて広島を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花し、スピーチを行なった。
 「71年前、雲ひとつない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった。閃光と炎の壁は都市を破壊し、人類が自らを破壊するすべを手に入れたことを実証した。」(中略)「それは私たちが選ぶことのできる未来だ。その未来では、広島と長崎は核戦争の夜明けとしてではなく、道徳的な目覚めの始まりとして知られるだろう。」
 文頭と文末は以上のように表明されている。
 おおかたの評価は高い。オバマ大統領のそれの3分の1にも満たない安倍総理大臣のスピーチと比べて「格調が高い」、「文学的だ」、「誠実さを感じた」、「アメリカ大統領としてせいいっぱいの表明」のとの評価が多い。いっぽう、「謝罪してほしかった」、「これからの行動が大事」との声もある。
 個人的に言えば、後者の声に共感する。謝罪してほしいとは言わないが、あまりにも主体性にかけている。抽象的できれいごとが多い。まるで安倍首相の戦後70年談話のようだ。
 「空から死が落ちてきた」のではない、あなたの国の意思として死を落としたのだ。「世界が変わった」のではない。世界を変えてしまったのだ。ナチスドイツはすでに滅びていた。それでもあえて原爆を使用したのではないか、戦後の世界戦略を見据えて。「私たちが選ぶことのできる未来」として原爆を選んだ責任をどうとるのか。そのうえでこそ「道徳的な目覚め」があるのではないのか。
 謝罪すべきなのは、被爆者に対してはもちろんだが、日本に対してではない。オバマ大統領が原爆を投下した国の代表として謝罪すべきなのは、人間に対してだ。全人類に対して謝るべきなのだ。

 峠三吉『原爆詩集』の序に次のようにある。

  ちちをかえせ ははをかえせ
  としよりをかえせ
  こどもをかえせ
  わたしをかえせ わたしにつながる
  にんげんをかえせ
  にんげんの にんげんのよのあるかぎり
  くずれぬへいわを
  へいわをかえせ

 オバマ大統領は広島平和記念資料館に2羽の折り鶴を贈ったという。2羽の折り鶴が、大統領のせめてもの良心の呵責の表れであることを望みたい。

※上記文章は、「街をわたる風」の「広島・長崎・知覧」の導入部として書き始めましたが、長くなったため、独立したものとしました。
(2016.6.6)



マイナンバーをつぶせ!

 先日、マイナンバーの学習会に参加した。講師はプライバシー・アクション代表の白石孝さん。白石さんの著書はすでに何冊か読んでいたので、マイナンバーの問題点は大まかにはわかっているつもりだった。それでも改めて知る事実は多かった。

 昨年5月20日に開かれた首相官邸のIT総合戦略本部の第9回マイナンバー等分科会、そこで示された「マイナンバー制度利活用推進ロードマップ(案)」。ここには2020年度までに進めようとしている計画が示されている。例えば、個人番号カードの普及(キャッシュカード・クレジットカード・ポイントカード・診察券・運転免許証や教員免許・健康保険証などとの一体化、在留邦人や訪日外国人への個人番号カードの交付)やカジノやオリンピック会場の入館規制までが含まれている。興味のある方は見てほしい。→こちら
 白石さんからは、韓国の現状についても映像を交えて説明がなされた。韓国は官民共通の番号制度を採用しており、個人番号の普及は生活の隅々にまでいきわたっている。もちろんその被害も後を絶たない。また、韓国では個人番号カードが身分証として常時携帯が義務付けられている。これは「北朝鮮」のスパイ対策の一環ではあるらしい。韓国はあらゆる意味でマイナンバー制度に関する日本の未来図となっている。
 諸外国でも番号制度があるが、そのほとんどが限定的な利用だ。官民共通番号を採用しているところは限られている。それはセキュリティー上の危険があるからだ。実際にハッキングやなりすまし・盗用による被害が多い。個人番号カードの採用も少ない。
 マイナンバー導入の狙いとして「課税の適正化」を政府はあげるが、はたしてその通りになるものか。じっさい、民主党政権時の「社会保障・税番号大綱」でも次のように述べられている。
 「『番号』を利用しても事業所得や海外資産・取引情報の把握には限界がある」
 課税の徴収を徹底できるのは、あくまでも中間層と貧困層なのだ。同じ理由から、「公平・公正な社会保障」で割りを食うのはまたしても中間層と貧困層だ。消費税導入・労働法制改悪等を見るまでもなく、この間の安倍政権の政策は格差社会の拡大を進めている。まさしく階級的な攻撃そのものだ。
 その割にかける費用は膨大だ。国の運営経費は3000億円と見込まれている。このほかに地方自治体の持ち出しも莫大な額にのぼっている。これらはすべて税金で賄われる。そのほかにも、マイナンバーのために民間企業や法人が設備投資にかける経費がある。そのために使われる費用に対してどれほどの効果があるのか。
 そもそも、国民総背番号を付けるなど基本的人権を侵害しているし、個人的には感覚的にも決してなじめないものだ。
 しかし、事態は着々と進行している。税や社会保障についてのマイナンバーの提示は(現状では)義務付けられてはいないものの、銀行取引の際に、証券取引全般、マル優・マル特制度の利用、外国送金にはマイナンバーの提示がすでに義務付けられている。また、政府は国家公務員の身分証をマイナンバーの「個人番号カード」と一体化させようとしている。個人番号カードの受け取りは任意であるにもかかわらずだ。国公労連は抗議と反対を表明しないのか。黙っていれば、地方公務員・独立行政法人・民間企業にまで広がっていく恐れが強い。

 これほど問題の多いマイナンバー制度であるにもかかわらず、反対運動の広がりが見られないのはなぜか。会場で白石さんに質問してみた。
 大きくは2つある。ひとつは民主党政権時に提案された内容であるため、野党の統一した反対運動が組みにくいこと。もう一つは、マイナンバー制度がわかりにくい内容であること、とのことであった。
 ひとつ目はもうどうしようもないが、2つ目は表現を考慮することで何とかなりそうな気もする。確かに「税と社会保障の公平・公正化」という一般受けする政府の宣伝に対しては反論しにくい面がある。しかし、短く本質をつかみ出す表現を工夫することによって(すぐには理解されなくとも)国民大衆に伝わりやすくなるのではないか。
 「国民から税と手当を搾り取る最終兵器、マイナンバー」
 「税金で情報産業ばかりが大儲け、マイナンバー」
 「マイナンバー、金持ちばかりが肥え太り」
 「パスワードの使いまわしかマイナンバー」
 「官と民、癒着がすすむぞマイナンバー」
などなどいろいろ考えられるだろう。
 個人的にできることといえば限られているが、個人番号カードは作らないこと、マイナンバーは(周囲との軋轢が生じようとも)できるかぎり使わないことを追及していく必要があるだろう。
(2016.2.21)



アニメ「戦争のつくりかた」
制作:NOddIN

 この国が戦争へとひた走っているように感じるのはぼくだけではないだろう。海外へ自衛隊を派遣できるような政策を打ち出したり、国民の知る権利を奪う法律を作ったり、政権に批判的なマスコミへの介入を図ったり、戦犯を祀る神社に国のトップが詣でたりと枚挙にいとまがない。
 いっぽう、経済政策では(大企業を中心とする経済界の)支持を得ようと異次元の金融緩和とやらでお金を撒き散らし、それでもダメだとなるとマイナス金利の導入で無理やり市場に資金を排出させようとしている。
 世界史に残るような甚大な原発災害を引き起こした国であるにもかかわらず、その原発を海外に売りだそうと画策したり、平和国家であるにもかかわらず、兵器の海外輸出を進めたりとモラルにもとる政策もとっている。金儲けのためなら何でもやりますというのが現政権の一貫した姿勢だ。
 それでも景気は良くならないなら、一石二鳥の禁じ手、戦争発動という発想が為政者の頭に浮かぶのも時間の問題かもしれない。いや、もうきっとそれも視野に入っているのだろう。そうすれば国民は狂喜乱舞する、反対勢力なんか一挙に吹き飛んでしまうと。

 こんな時代にとっておきのアニメが、2月11日(奇しくも建国記念の日)にネット上の特設サイトで公開された。「戦争のつくりかた」制作はNOddIN(ノディン)。
 以下のサイトから御覧ください。
http://noddin.jp/war/

 ちなみに、NOddINとは、3.11という既存の価値観がひっくり返るような契機を経て、今までと違う視点をもつて生きていきたいとする映像関係者の集まり。その名称には、日本(NIppON)をひっくり返した意味あいがある。興味のある方は以下のサイトをご覧になってください。
https://vimeo.com/noddin

 原作は「りぼんぷろじぇくと」による同名の絵本『戦争のつくりかた』。この絵本の作成の経緯や内容については以下のサイトを御覧ください。書籍を買っていただくのがベストですが、サイトでも閲覧できるようになっています。
http://sentsuku.jimdo.com/

 昨年は「教えてあげる ヒゲの隊長」(以下参照)で盛り上がったが、「戦争のつくりかた」も今年、ネット上で話題になることだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=L9WjGyo9AU8
(2016.2.14)



【本の紹介】
『非戦の思想史』
(講談社現代新書)大江志乃夫

 この題名から、戦争やあらそいを拒否し平和を求める哲学的な内容が書かれているものと、はじめは思っていた。もちろんそのような内容に沿っているが、本書は江戸時代末期から現代に至る近現代史をたどる構成ともなっている。
 読者は読み進むに連れて、現今の政治情勢、とりわけ安倍政権の憲法破壊政策との共通性に気づくことだろう。とはいえ本書が著されたのは1969年―半世紀近く前のいわゆる「大学紛争」の時代―であるものの、当時から平和に対する権力の攻撃には一貫したものがあり、本著作が先見性を持ったものともなっているのはその故でもある。

 「1.人民武装の思想」で著者の問題意識は次のように示されている。
 憲法制定後、二十年以上を経て、今や、いわゆる「戦後民主主義」に対する評価が迫られている。その評価は、実践的には、憲法と鋭く対立する日米安保条約との対決をめぐって行われようとしている。安保の側からの憲法に対する攻撃は、いわゆる「占領憲法」に反対し、「自主憲法」を制定せよという、右からの攻撃として展開されつつある。(中略)このような攻撃のもとで、日本国憲法は、真に護るに値するのか、日本の国民はこの憲法に対してどのような歴史的責任をおっているのか、その点を明らかにすることが必要であろう。(P10〜P11)
 憲法第九条の戦争放棄に対して、著者はまず欧米の歴史的な過程を対置してみせる。欧米の民主主義の思想は、市民の権利を保証する手段としての武装の問題と不可分な関係で成立した。これに対し、日本においては権力により一方的に組織された軍隊であった。ここには「人民と国家の関係における軍事力の位置づけについて、いいかえれば国家観そのものについて、本質的な思想の相違があった。」(P16)と著者は説く。
 大日本帝国の軍隊=皇軍は徹底して「天皇の命のままに戦い、天皇の命のままに武器を捨てたのであった。(中略)個々の人民の主体的結合の所産として国家に対したのではなく、国家=天皇制に対する消極的な中立者・傍観者としてのみ対したのである。」(P23)―それは戦後の現今まで地下深く流れ続けているし、政治権力はその方向に導こうとしている、と私は考える。

 「2.武装解除された日本人民」では、幕末から太平洋戦争敗戦までの人民武装の思想について述べられている。長州藩の指導者周布政之輔の思想・高杉晋作の奇兵隊や長州藩諸隊に人民武装思想の萌芽が見られるとしている。しかし明治政府の廃刀令によって武装解除されていく。
 権力者は人民の武装解除だけでは安心できなかった。「常備軍を実質的にかたちづくっているのは、とりもなおさず、武装解除された人民のなかから抜き出されて組織された兵士だからである。」(P33)革命的情勢の高揚によっては政府から離反し、武器を反対側に向けないとも限らないからである。そのために権力者は人民の思想的な武装解除を謀った。その最も効果的な手段が天皇制イデオロギーであると著者は述べる。
 このように、日本の近代軍事力は、軍事的専制の道具として構築されてきた。いわば、日本の天皇制をささえる最大の物理力として、天皇制と軍事力は不可分の関係をかたちづくっていたのである。(P33)
 その故にこそ、太平洋戦争末期の軍事力の崩壊は天皇制国家の崩壊を意味していた(はずであった)。権力者はそのことを熟知していた。
 著者は社会運動家木下尚江について触れ、次のように述べる。
 木下は、日本の軍事力が軍事的専制の道具であり、ひたすらに民主主義を圧殺するためのものであったことを、たんに権力の暴力装置としての物理的力としてだけでなく、このような専制国家における軍事力を貫く思想の問題として告発したのであった。
 そして、まさに、このようなものとして、日本における民主主義の保障を軍事力の解体、権力の武装解除にもとめた成果を、日本国憲法の第九条がしめしたものということができよう。(P38)
 と著者は主張する。続けて、「そうした点から考えると、まさに、国家権力の武装解除による民主主義の思想こそは、天皇制国家の軍事的専制との闘いの歴史の中から日本の人民が学びとった固有の思想であるということができるのではないか。」(P38)まさに至言であり、ここには戦後民主主義の息吹が息づいている。
 「非戦の思想」と言いながら、人民武装のほうに論点が偏りがちであるように見えていたが、「非戦の思想」を語るためには避けて通れない必要充分な過程であろうと思える。

 「3.非戦と人権の思想の源流」から以降、「8.現代史としての平和と反動」までは近現代史を貫く非戦の思想史が語られている。近代日本最初の(道義国家しての)国家構想の体系をかたちづくった儒学者横井小楠、徴兵軍隊に対する批判を行った植木枝盛、中江兆民の『三酔人経綸問答』における非武装平和論、幸徳秋水の愛国心・軍国主義批判、田中正造の非暴力抵抗主義、そして敗戦後の民主主義と反動の時代―民主主義的運動の高揚、日本国憲法の成立、朝鮮戦争と警察予備隊(保安隊→自衛隊となる)設置、アメリカによる改憲策動、「おしつけ憲法」論、安保条約改定と憲法空洞化策動、砂川判決と朝日訴訟、恵庭事件、三ツ矢研究の暴露と「非常事態諸法令」・「治安出動」、教育への介入―教育三法。項目だけになってしまったが、この辺りは直接読んでもらうのが良いだろう。
 今日の安倍政権による憲法破壊・改憲策動に至る歴史的な事実が示されているばかりでなく、その中には安倍政権に対する鋭い批判ともなる思想や規範がいくつも見つけられよう。それは戦後の政治状況の中ばかりではなく、戦前、ひいては江戸末期の思想家の残した言葉の中にもきっと見つけ出せるだろう。その意味でも本書は今日的な価値のある一冊であると思う。

※本書は1969年に出版された書籍であるため、おそらく新本では手に入らないでしょう。中古を求めるか、図書館での貸出を利用することになると思います。
(2016.2.9)



立憲主義の空洞化

 稲田朋美自民党政調会長が次のような発言をしていたとの記事に目がとまった。
−「9条2項には『戦力は持たない』と書いてあり、素直に読めば自衛隊は違憲だ。これこそ立憲主義が空洞化している」と述べた。−(東京新聞2016.1.24朝刊)
 はじめ目にした時は、「えっ、稲田さんって護憲派だったの?!」と反応してしまった。もちろん憲法9条を改正し、自衛権を明記すべきとの立場からのものだが、こうも逆立ちした理屈を並べられると、妙にすっきりとする。
 稲田氏の発言内容は、前段ついては全く正しい。さらに、自衛隊を無くす方向に進むのであれば趣旨・論理とももっともな内容だ。しかし、そこから逆転の発想として憲法改悪に進む。
 こんなばかげた論理を振り回すからには、何か目論見があるのではないかと疑ってしまうのは私だけだろうか。肥大化した自衛隊はもはや縮小→解体できないとたかをくくっているからか。それとも立憲主義を支えに戦争法反対を主張する勢力への挑発か。いずれにせよ、歴史的経過を無視した暴論には間違いない。
 本来「違憲状態→憲法に基づく違法性の排除」と進むべきところ、「違憲状態→違憲状態の現実に合わせて憲法を改悪」という図式をたどろうとするのが稲田氏の理屈である。どちらも憲法と現実態は齟齬がなくなるけれども、後者の方式をとれば何でもありの世の中になってしまうだろう。極端な例で言えば、殺人事件があまりに多いので殺人は犯罪に問わないことにしよう、と言っているに等しい。これまで「殺人」の数々を重ねてきたのが歴代の自民党政権であり、現今の「殺人鬼」は安倍晋三であり、山口那津男であることを思えばブックユーモアでしかない。
 先の戦争法案の国会審議でも問題になった集団的自衛権について、高村正彦自民党副総裁が最高裁の砂川判決を捻じ曲げて合憲論を主張したのは記憶に新しいところである。そもそも砂川判決は自衛権のあり方を判じたものではなく、米軍駐留の是非、その判断の当否を論じたものだ。
 その当時最高裁長官だった田中耕太郎が何度もアメリカ大使館などにおもむき、駐日米大使に対して判決の時期や審理の進め方について協議をすすめていたことは、米大使が本国に送った報告の電文などがアメリカですでに開示されていて明らかなことだ。
 一審が米軍駐留を違憲として無罪判決を下したあと、二審をバスして最高裁に跳躍上告したことも前代未聞だ。これについてもアメリカ側からの強い働きかけがあったことが明らかになっている。
 いずれも司法権の独立をないがしろにする行いであることは明白である。

 戦争法案の強行採決を持ち出すまでもなく、立憲主義を空洞化させているのは安倍政権そのものだ。戦争法案を正当化するために砂川判決を捻じ曲げて解釈したり、立憲主義の名のもとに憲法改悪を図るなど、論理の上では安倍政権すでに破綻している。このうえは安倍政権の実体的な破綻を導くしか道はないだろう。
(2016.1.29)

これ以前のデータは「つれづれなる風・一の蔵」に保存してあります。
















































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