つれづれなる風 四の蔵




  

保存データ:2017.8.28〜2018.5.8


これ以降のデータは「つれづれなる風・五の蔵」をご覧ください。

会ったの? 会わなかったの?

 野球というゲームには興味もなく、日頃から見ないほうだ。しかしたまたま見たニュース番組で、イチロウ選手と大谷翔平選手が試合前のグラウンドで交歓する姿を見た。互いの対戦相手チームに所属する日本人選手同士が、和気あいあいと語り合っているその様子になんらやましいものはない。むしろさわやかさすら感じられる。もちろんその場所が、観客が見守るグラウンド上であったからというのは間違いないだろう。
 これが夜の酒場であれば少し事情は変わってくる。2人の様子に、試合で対決した際の結果に疑念を生じさせてしまうことさえ起こりうる。会っている当事者ですら、尻が落ち着かないのではないか。たとえ後ろめたいことがなかったとしても。
 同じようなシチュエーションは、他の日本人選手同士でも見たような記憶がある。昼日中の衆人環視という健康的な場面設定がそう感じさせているが、そのことを対極に置いてみると、隠れて会う、会っても教えないという、昨今メディアで取り上げられる記事の内容がいかに怪しげで後ろめたいものかが浮き彫りになる。

 安倍首相とマスコミ関係者との会食が以前話題になったが、アメリカではこんなことはあり得ないという。鈴木秀美・慶応大学メディア・コミュニケーション研究所教授は言う。「メディアの幹部たちが時の権力者とこぞって会食している事態は欧米では考えられません。メディアは本来、市民のために権力を監視するのが使命で、権力と一定の距離を置くべきというのは、先進国では常識です。メディア幹部らが首相と頻繁に会食することは、国民に癒着や裏取引を想像させるし、実際にそういうことが行なわれている可能性もあります」(週刊ポスト2015年6月19日号)
 情報収集という名目でメディア関係者が権力者と会って会食する(それはおそらく夜の料亭だろう)。会食した当人が矜持を守ったとしても、外目にはそれは通るまい。鈴木教授の指摘するようなことが想像されるし、またあり得ることだろう。
 同じことが労働組合幹部と資本家(経営トップ)とのことにも敷衍できる。組合幹部が、団体交渉では立場が対立する資本家と(隠れて)会食したなどということがバレれば、労働者からの信頼は一気に失墜する。現在ではどうか知らないが、昔はそれくらいの厳しさが当然だった。
 「越後屋、お主もワルよのう」、時代劇の一場面のようなことが起こってはならない。

 閑話休題
 リテラに2017年の「安倍政権御用ジャーナリスト大賞」が載っていた。
 酒のつまみに(も、ならないかもしれないが)、どうぞご覧あれ。
 http://lite-ra.com/2018/01/post-3715.html

 隠れて会えば、必ずどこかに後ろめたさか付きまとう。わたしは経験したことはない(?)が、不倫などはその最たるものだろう。女房から「あの女と会ったの? 会わなかったの?」と問い詰められることになる。そんな時、「記憶の限りでは、お会いしたことはない」などととぼければ、包丁を突き付けられ修羅場になるだろう。
 ロッキード事件で証人喚問された国際興業社主・小佐野賢治は「記憶にございません」を連発した。それは当時の流行語にもなった。「翻訳」すれば、「会ったけれど記憶にないことにしておきます」ということになる。頭の中までは誰も見られないのだから……。
 こんな言い訳がいつまでも通るはずはない。「会ったんなら、会ったと、はっきり言いなさいよ!」と迫られるのが関の山だ。柳瀬首相秘書官も今週中にはゲロすることになるだろう。
 隠さなければならないような人と会うのは、(極力)やめましょう。関係を疑われるような相手とは、公明正大、大リーガーのように、お天道様のもとで会いましょう。
(2018.5.8)



誰に向って言ってるんだい!

 
今年(2018年)の4月から、小学校の道徳の教科化が始まった(中学校は2019年から)。

 1958年から小中学校で始まった道徳の時間は、国語や算数のような個別の教科ではなく、教科外の活動だった。やってもやらなくても問題なかったし、他の教科に割り当てることもざらだった。それが小学校では今年から特別の教科となり、教科書や評価も導入される。
 そもそも、心のありようともいえる道徳を教えることなどできるのかという根源的な疑問を抑えることができない。そのうえ、大それたことに道徳を教員が評価するのだという。神をも恐れぬ所業というしかない。頭の中にまで踏み込んできて子供を改造するかのごとき行為は、憲法19条の「思想及び良心の自由」を侵害する行為ではないか。行為や表現を指導するならまだしも、頭の中で何を考えたって自由なはずだ。

 道徳の教科化・評価導入は、第1次安倍内閣のもとでの教育基本法改悪(2006年)がもたらしたものだ。この改悪は、公共の名のもとに権利の抑圧、義務の強調をもたらし、また、国や郷土を愛する態度の押し付けにより、個人の相対的価値の低下をねらっている。ここから教育の国家主義化(右傾化)が始まり、2015年には小学校・中学校・特別支援校の学習指導要領の一部改訂が公示された。
 以下はその一部改正学習指導要領(平成27年3月告示)小学校道徳である。
 ※この内容は、以下の文部科学省のホームページからダウンロードできる。
  http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/

第3章 特別の教科 道徳
第2 内容 学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育の要である道徳科においては,以下に示す項目について扱う。
A 主として自分自身に関すること
[善悪の判断,自律,自由と責任]
〔第1学年及び第2学年〕 よいことと悪いこととの区別をし,よいと思うことを進んで行うこと
〔第3学年及び第4学年〕 正しいと判断したことは,自信をもって行うこと
〔第5学年及び第6学年〕 自由を大切にし,自律的に判断し,責任のある行動をすること
[正直,誠実]
〔第1学年及び第2学年〕 うそをついたりごまかしをしたりしないで,素直に伸び伸びと生活すること
〔第3学年及び第4学年〕 過ちは素直に改め,正直に明るい心で生活すること
〔第5学年及び第6学年〕 誠実に,明るい心で生活すること。
※下線は筆者

 下線部をよく読んでほしい。まったく悪い冗談としか考えられない。教育の国家主義化(右傾化)を推し進め、嘘とごまかし、ねつ造と隠蔽、セクハラまみれの安倍政権あってこその作文だ。
 財務・経産・文科・防衛・厚労をはじめとする各省庁や内閣府の役人にこそ、まず道徳の授業を受けてほしい。藤原・柳瀬・福田・佐川くんに至っては特別講習が必要だ。級長である麻生・安倍くんは留年のうえ、小学1年生の道徳の授業から学びなおしたほうがいい。いやいや、彼らには学校より監獄のほうがお似合いかもしれない。
(2018.5.7)



映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

 
「安倍政権退陣を求める4.14国会前集会」に参加する直前、新宿で「ペンタゴン ペーパーズ/最高機密文書」を観た。

 ベトナム戦争に関するアメリカの機密文書を報道したワシントンポスト関係者の葛藤と勇気を描いた映画である。当時のアメリカ大統領はニクソン。「ペンタゴン・ペーパーズ」とは、主にアメリカ大統領ケネディーからジョンソンに至る時代の政策決定に関する報告文書である。ベトナム戦争を中心とした秘密工作や、兵士の増派をしたものの手詰まりになっていた戦況(「正義の戦争」であり、「優勢に推移」と公式発表されることは、いつの時代もどの国でも同じだ。)について書かれている。
 はじめ、ニューヨークタイムスがすっぱ抜いたが、裁判所の差し止め命令で発表停止となる。これを受けて、当時は一地方紙であったワシントンポストが、同じニースソースから発表に踏み切るまでの難と緊張と苦決断がストーリーの中核である。
 人間(とりわけ政権側との)関係からの葛藤、株式公開という経営上に絡む問題、共感に基づく反対(「発表すべきだが、今はその時ではない」とか「今発表すれば、多くの若者の犠牲が出る」とか、主に主観的善意からの「忠告」)などから関係者は翻弄される。どこにでもありがちな、しかし深刻な葛藤である。
 波瀾の末に最終決定がなされる。ワシントンポストの首脳陣に向かって女性社主は「やるのよ」と強く宣言する。続けての場面である活版印刷の版組や、輪転機が力強く回転するシーンは、ジャーナリズムの本筋を示しているよう感じられる。
 だが、その後も問題は待ち受けていた。このまま発表すれば政権から裁判にかけられる恐れがある。同じネタ元であったからだ。社主ばかりでなく、社員も仕事を失うことになりかねない。それでも社主の信念は変わらなかった。そして裁判は政権側の敗北となる。
 しかし政権の陰謀は果てしない。最後の場面はニクソン政権によるウォーターゲート事件を暗示して幕となる。

 映画を観終わって、何ともうらやましいと感じざるを得なかった。日本では、この種の裁判は上級審に行くにしたがって敗北する傾向が強い。裁判ばかりではない。森友・加計問題を見るまでもなく、官僚は政権の言いなり。信念に従った内部告発さえ見られない。そもそも文書管理すらなっていない。改竄・隠蔽・廃棄は当たり前。記録文書があることさえ珍しくなっている。
 スピルバーグ監督がこの映画を作ったのも、トランプ政権の登場に危機感を感じたからだと伝えられている。都合の悪いことは隠す、フェイクニュースとして無視する、政権に批判的なジャーナリズムに対して敵対する。これでは誰でも危機感を抱くだろう。トランプの子分、安倍の政権運営も全く同じではないか。それでもアメリカの裁判には政治的な中立性が認められるし、内部告やそれを積極的に取り上げるジャーナリズムも健在だ。
 日本にだって自立性と誇りのある役人はいるはずだ。マスコミの中にも批判精神の旺盛な記者・編集者・社主もいるはずなのだ。それを支えるのが世論であり、社会運動だろうと思う。反面、自立した社会人やジャーナリズムが、世論や社会運動を喚起するともいえる。両者は互補完的な関係にある。

 この映画を見た人々は何らかのかたちで情念に火をつけられることだろう。心に点火されたその焔は、いつになったら燃え広がるのか。街の雑踏に出たとたん消えいってしまわぬことを望みたい。映画を観終わった後、自分が政権批判の集会に出かけるから特にそう感じただけかもしれないが……。
(2018.4.15)



マンション理事会おもしろ体験記【番外編その2】
「理事会役員再任」

 「心不全の憂鬱」(2018.2.17)でもちょこっと触れたが、今期の定期総会で理事長職は終了となる。マンション理事会に関わるのはこれで終わりと考えていたのだが、実際は、世のしがらみからもう一期理事に立候補することになった。
 ぼくが勧めた方が理事会役員に立候補をしてくれることになり、さらに理事長主就任の意思を示されていたのだ。その方から、来期も理事を再任してくれれば頼りになると言われていた。力のある方なので、ぼくなどいなくても管理組合の改革をしてくれるだろうし、半分は謙虚からそう言われたのだろう。
 自分の体調のことも心配だったが、ここで身を引くことへの後ろめたさのようなものも感じていた。体が利かなくなり途中で理事が務められなくなることもまずいが、勧めるだけすすめておいてあとは任せきりということも望ましいことではない。ジレンマだった。時間ばかりが過ぎていく中で、どちらにするか決められずにいた。
 どこかで決断の契機があったわけではない。何となくずるずると過ごしていく中で、立候補締め切りの日が近づき、何となく届け出をしてしまったような感じだった。

 ところが、である。思いもよらぬところから待ったがかけられた。
 管理人さんから訪ねてきて、一部の方から異論が出されているというのだ。どうも「役員選出要領」というのがあって、理事連続就任は2年までとの規定があるそうだ。
 これを聞いた時には、これで正当な理由をつけて理事立候補を辞退できると内心ほっとしたのだが、反面、ダメと言われると反発してしまうたちの自分は、「だって、規約では再任を妨げないとあるではないですか」と言い返していた。どうも立候補者の届け出の報告をする張り紙を見て苦情があったらしい。管理人さんに迷惑をかけてもいけないので、自分の名前のところには「理事就任について疑義があるので、次回理事会まで保留とする」とでも書いておいてもらうことにした。

 そして理事会。ここで不承認となれば大手を振って立候補を降りられると思う反面、立候補を降ろされたら裁判かなとも考えていた(実際、弁護士にも相談した)。人間ってこんなものだ。いつか誰かが言っていた「人間は矛盾の存在である」ことを身をもって感じた。
 ところが、ところが、である。不承認とされると確信していた理事会では、賛成多数で承認されてしまったのだ。みんな優しい人ばかりだったのか。それとも役員選出要領が管理規約に違反しているとの判断があったからなのか。おそらくそうではないだろう。「みんなが嫌がる理事会役員に立候補してくれる人をあえて規制する必要はない」というぐらいの判断がおおかたのところだったのではないか。
 となれば、これまでの立候補者と次の輪番にあたる候補者を定数まで繰り入れ、それを定期総会に諮ることになる。総会では異論・異議続出、大もめにもめるのではないかとの予想もした。

 何が起きても起きなくても、時は流れていく。とうとう定期総会の日となった。
 次期役員の選出承認案件は一番最後。(ついでに言うと、廃プラ施設の協議会出席についても政治的だとの異議が出されていた。※「マンション理事会おもしろ体験記H『続・署名』」参照)
 誰でも自分の主張が一番正しいと思い込む傾向がある。僕にとってもそれは例外ではない。だが、この件に関してはそんなに間違ってはいないという確信があった。管理規約で「再任は妨げない」としてあるものを役員選出要領で「連続2年間を限度とする」と規制するのは無理があるだろう。
 管理規約はマンションの憲法。いっぽうの役員選出要領は憲法に対して下位の法律に過ぎない。一片の法律が憲法の条文に反して組合員の再任を規制するなどということは、だれが考えてもおかしい。裁判に訴えても勝てるという確信すらあった。
 戦闘モードをできるだけ控えてお話しした。異論を唱える方は、それでも芯からは納得できなかったようで、管理会社にその矛先を向けていた。その段階ですでに「勝敗」は決していた。というより、管理組合の定期総会というものは、通常の議題でさえあれば、委任状と議決権行使書の賛否(実体的にはほとんどが賛成または一任)で決してしまう。したがって普通決議(過半数の賛成で可決)であれば、まず間違いなく成立してしまう。
 これが特別決議だとそう簡単にはいかない。委任状・議決権行使書をふくめ全有権者の3/4の出席と、同3/4の賛成を得なければならない。
 先の「要領」は何回か前の定期総会において普通決議で成立したもので、その点でも疑義があった。本来なら特別決議として規約の改正をすべきところである。そのあたりのことは、来期の理事会で再討して望ましい在り方を提案することになるという付帯条件を付けて役員選出案件は可決成立した。
 これでまた来年1年理事を続けることとなる。喜ぶべきか悲しむべきか、判断に迷うところではある。
(2018.3.19)



2つの市民集会

 ひょんなことからチラシを配ることになった。3月20日に衆議院第一議員会館で開かれる院内集会(「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」が主催 添付チラシ上※クリックで拡大)。東大教授の醍醐聰さんが中心となってすすめている市民運動だ。

 当市に「森友・加計告発プロジェクト」に積極的に関わっているA氏という方がいる。近くに住まわれていて、声をかけられれば何かと協力している。こちらからも別件で協力を求めることも多い。「森友・加計告発プロジェクト」は市民運動団体で、自主的な市民ボランティアが中心となって活動している。彼もその一人というわけだ。
 「市民の会」と「プロジェクト」は名称が似ていることもあって紛らわしい。ネットで佐川国税庁長官の罷免を求める署名を集めていた。そそっかしいぼくは、それを以前から関わっていた「プロジェクト」のもとの思い込み、早速署名に応じた。その後、いろいろな案内が届くようになった。
 一方「プロジェクト」のほうも東京地検特捜部に告発状提出したり、国会前行動を展開したりと活発に活動していた。その都度参加できるものには参加していたし、協力できることはしていた。最近では、「プロジェクト」も実行員会の一団体として参加している「4.5主権者が政治を変える!さくら祭り」(添付チラシ下※クリックで拡大)に取り組んでいる。A氏からも何かと協力の要請があり、協力もしていた。だから佐川長官の罷免署名も「プロジェクト」のものだと思い込んだ。ただ、変だなと感じたのは、こちらはフリーメール、一方の「市民の会」の案内はアウトルックのメールアドレスに届いていたことだ。
 今から考えれば、ネット署名したときにフリーメールで登録したからそうなったのだと分かる。しかし、当時は深く考えることもなく適宜対応していた。そして今回の院内集会の案内。国会に提出された森友文書の改ざんが明らかになったこの時点では、実にタイムリーであると思った。院内集会で森友問題を徹底的に問い詰めて、「さくら祭り」で安倍政権を退陣に導く流れを加速させる。そうなれば理想的な展開だ。
 「さくら祭り」に関する連絡のついでに、A氏に「3.20院内集会」のことにも触れた。しかしA氏は「あれは醍醐先生の……云々」と説明された。その集会を否定するようなニュアンスは含まれていなかったと思う。ただ事実を伝えてくれただけだ。そこで初めて「市民の会」と「プロジェクト」が別物であるということが分かった。
 少々誤解はあったにしても、内容的に共感できるものであれば協力することに問題はない。しかも流れは安倍政権の退陣だ。むしろ、様々な団体が時を選んで、各所でいろいろなカンパニアをすることは世論喚起に役立つ。「統一と団結」も必要だが、「分散と拡張」も世論の盛り上がりには有効だ。
 そんないきさつから、院内集会を広めるために何かしたいと考えた。チラシを必要な枚数、無料で送ってくれるという。早速メールで連絡し、取り寄せて撒くことにした。依頼した翌日には大量のチラシが届いた。
 お礼と報告の意味もあり、すぐに配達伝票にある電話番号に電話した。すると、なんと醍醐さん自身が電話口に直接出られた。まさかご本人が出るとは思わなかったので驚いたが、森友改ざん文書の存在を財務省が認めたので翌週の予算委員会での審議が興味深いものになったこと、いろいろな場所で様々な人たちが声を上げる大切さについてやり取りした。

 先にも述べたが、市民運動は自発的な市民による無償の運動だ。組合や政党のように組織的な裏付けや予算上の保障もない。それゆえに声を上げたひと、一人一人の責任とやる気にかかっている。言い出しっぺの醍醐さんは偉いと思うが、さぞかし大変だろう。少しでも役立てばと思っている。
 一方で、政党や組合の存在が薄れているのも気にかかる。どこの集会やデモに出かけても、政党はゲストということが多い。自分の狭い経験から言えば、組合やその連合体が進めている運動に出くわすことは少ない。60年から70年にかけての状況を知る者にとって、この状況は少し物足りなくも、不安にも感じる。
(2018.3.12)



心不全の憂鬱

 内部障害は周りからは理解されにくい、というのが通説だろう。だが自分に心臓機能障害の症状が出るようになってからは、そんな当たり前のことがことさら身に染みて感じるようになった。また、自分でもどのように判断していいのか困惑することも多い。
 脚の骨折後、急に心肺機能が落ちたような気がする。運動不足もあったのだろう。結果、体重も急増した。そんなことも原因として考えられなくはない。しかしこれまでの経験からすると、心機能の低下が進んでいるのではないかという恐れのほうが強い。原因はわかっている。2度の心臓手術の影響だ。でもこれはどうにもならないらしい。

 何度も言ったり書いたりしてきたことだが、心肺機能の低下は山歩きで初めて感じた。以前だったらなんでないような登り坂が異様に苦しい。しかしその時でも、街での生活には何の支障もなかったのだ。
 だが、その症状は次第に街でも出現するようになった。昔は好んで階段歩いていた。エレベーターもじっと立ち続けることはなく、気ぜわしく歩いて登っていた。それなのに駅などの長い階段歩行で息が切れる。そのうちちょっとした早歩きでも息が切れるようになった。これらのことは年単位でゆっくり、それでも着実に進行していった。
 近ごろでは家の中でも症状が現れ始めた。室内であっても動けば呼吸困難の自覚がある。座っていれば、あるいは横になっていれば、嘘のようにけろっとしている。ハアハアと口呼吸をしているさまは、身近な者が見たら大げさ、これ見よがしに感じてしまうのではないか。安静時と行動しているときの差があまりに大きいのだ。
 今はまだ骨折からの回復期だから足の運びも自然ではない。もちろんゆっくりとしか歩けない。けれど脚が完全に回復したとしても、この様態は変わらないのではないかと思う。機能的にというより器質的な原因によるからだ。

 この頃は、循環器系の主治医がいる都内の病院に通えるのがいつまでなのだろうかとの不安が絶えずある。近くの病院に紹介状を書いてもらったほうがいいのだろうかといつも思っている。こうして机に向かっているときには忘れているのだが、一歩外に出ると切実に感じる。
 同じことが地域や社会との付き合いにおいてもある。
 マンション管理組合の理事は今季限りでやめようと考えていた。何もなしえなかったし、自分の力のなさを切実に感じさせられたからだ。しかし、関わりのあった居住者が理事に立候補してくれることになり、行き掛り上引き下がることはできない状況になった。無理すれば続けられないことはないが、まともな体力ではない。体調から言えばここらが潮時だとは思う。この件に絡んで、理事任期の制限(かつての総会決議 ※これについてはまた改めて述べる機会もあるだろう。)の問題もある。留任するか引くべきか、迷うところではある。
 廃プラ施設反対の地域での運動についても同じようなことある。
 施設はすでに着工段階に入っている。何となく敗北感が漂っているように感じる。個人的には、経過も内容も納得できるものではないのだし、反対の意思表示は進めていくのがいいと考えていた。そこに交通事故。3か月ぐらいの空白期間ができてしまった。
 少しは動けるようになってきたので、そのためのビラづくりを個人的にやり始めた。しかしだ、地域にビラ入れできるだけの体力的な自信がない。せいぜい駅頭あたりのビラ配りがいいところだろう。それだとさばける枚数も限られている。協力してくれる人はいるものの、ほとんどが個人作業だから、やめたところで誰からも文句は言われない。どうしよう、というのが正直なところだ。
 都心での集会やデモ行進に対しても、参加意欲はあるが、引きがちだ。意欲が気力に負けている。デモ行進のような緩慢な行進ですら、現実的についていけないのではとの不安もよぎる。コース途中には坂もあるだろう、状況によっては走る場面も出てくるだろう。こうなると、途端に意気消沈してしまう。規制を強く受けがちな内容のデモ行進ならなおさらだ。
 毎年一回、みんなを集めてやっているアウトドア行事はどうしよう。段取りや下準備は何とかできなくもない。しかし、現地ではほとんど戦力にならない。数年前から今年はどうしようと思いつつ続けてきた。これも個人的に始めた行事だから、やめたところで誰からも苦情は出ない。もしかしたら寂しがる人はいるかもしれないが。
 昨年は旧友に会いに北海道に行った。一昨年は広島・長崎・知覧を訪問した。九州と広島では友人・旧友にも会った。友達には「遺言旅行」だと冗談めかして伝えた。聞いているほうは、「何をばかなことを言っている」と思っただろう。まだチャンスがあるなら、今度は原発被災地に行ってみたいと考えている。

 一事が万事この調子だ。要するに弱気になっているのだ。もちろん気力だけの問題ではないのだから、是非もないと言えば言える。こんな時は反転して積極的にやるのがいいとも思うのだが、なかなか一歩を踏み出すことができない。
 今日、廃プラ施設反対のビラを2000枚以上印刷してきた。作ってしまえば、あとはさばかねばならない。自分にストレスをかけてでも、今やれることをやるしかない。
(2018.2.17)


アルマーニの小学校

 アルマーニの標準服を取り入れようとしている小学校があると聞く。どうやら校長が主導的に関わっているとのこと。
 中央区銀座の泰明小学校。学生時代だったか、40年以上も昔、この小学校の前を歩いたことがある。その時ですら、かなり歴史のある建物だなと感じた思い出がある。
 アルマーニってどれくらい有名なのか。ユニクロぐらいなら知っているが、ファッションにまったく関心がない自分には計り知れない。どうやら世界的に有名で、値段も高価らしい。
 標準服に限らず、制服などというものは不要だと思っている自分のようなものにとって、アルマーニだろうとユニクロだろうといらないものはいらない。百歩譲って、どうしても必要だとしたら、誰でも買える(もしくは無償で提供する)のが理想だろう。「誰でも」というのは、「どんな貧乏人でも」ということだ。
 アルマーニが他社製品より格段に安いなら、もしくは無償ならまだいい。着たいと思ったものが手軽に手にできるものならまだしも、8万から9万もするというではないか。そんな額ははした金だと、銀座に住む保護者は判断するというのか。一着の衣類にかける金額としては高額だと、少なくともぼくは思う。
 私立校ではないのだ。歴史ある公立校だというではないか。8万円が払えない保護者だっているだろう。今はいなくとも、今後そのような保護者が入ってこないとは誰にも言えない。
 標準服だからいいだろうという論議もある。しかし標準服ということはみんなが一般的に着用しているということになる。すると、アルマーニを着ている子は、例外なく恵まれた経済状態にある家庭の子だということになる。逆に言えば、アルマーニを着ていない子は貧乏人である可能性がある、ということになる。これが差別でなくて何だ。
 これに輪をかけて問題なのが、文部省や教育委員会の対応だ。いつも校長の主体的な判断を嫌い、横やりを入れてくることが多い当局が、この件に対してはやけに寛容だということだ。差別的な状況を引き起こす可能性があるにもかかわらず、学校の独自性ということで容認している。
 時の政権がどちらの側を向いているのか、この一時でもわかろうというものだ。差別される側や貧しい者たちに、権力者は自ら手を差し伸べることはない。
(2018.2.16)



非正規雇用

 いつ頃からだったのだろう、非正規の労働者が増えだしたのは。今では派遣社員・契約社員・パート・アルバイトという雇用形態が当たり前になってしまった。
 パートやアルバイトと言えば、主婦や学生の小遣い稼ぎというイメージが昔はあった。特別な事情がある場合の雇用形態であり、それ以外は「正社員」というのが普通だった。少なくともここ20年ぐらい前まではそうだったように思う。
 もしかしたら、もっと前からだったのか。自身がほとんど公務員生活を送っていたので、気づかなかっただけなのかもしれない。それが、最近では公務員も同じような状況になっているということを知った。

 わがまちは(行政区分では「市」だが)、東京都の中でトップクラスの非正規率を誇って(?)いる。都内自治体の「臨時・ 非常勤職員に関する調査結果」をもとに本多伸行氏(NPO法人官製ワーキングプア研究会理事)がまとめた資料によると、2008・2012・2016年の全てにわたって上記実態がある。※2012年のみ首位の座を他市に譲っている。それでも第2位につけている。
 自治労調査や総務省調査でも、地方自治体で働く公務員の3人に1人から4人に1人は非正規雇用であるという結果が出ている。わが市ではなんとそれを大きく上回り、2人に1人、つまり職員の半分は非正規雇用である。市の基幹的な業務まで担うようになっている。
 非正規の公務員の多い職場として学童保育指導員・消費生活相談員・図書館職員・学校給食関係職員・保育士などかあげられる。一般事務や技術職も例外ではない。医療・教育関分野にまで非正規化の波は押し寄せている。いずれも重要な業務であり、市民サービスに直結する内容だ。
 勤務時間も勤務内容も正規雇用とほとんど変わらない。しかし非正規雇用に賃金格差は厳然としてある。総務省調査でも年収ベースで1/4から1/3というのが実態である。同一労働同一賃金などはどこの世界の話か。これでは、働く意欲もなくなろうというものである。
 そのうえ、有期雇用でいつ雇止めになるかわからない。更新回数制限があり、定められた更新回数を過ぎると任期満了となり、継続雇用を望む場合は、再度採用試験を受けることとなる。

 縁あって、当市の非正規雇用労働者と付き合いが始まった。組合を作って市当局とわたり合っている。その方から依頼されて、市議会に陳情書を出すことになった。心意気に触れての決断だ。
 彼は「嘱託員」という、地方公務員法3条3項3号の別職非常勤職員である。市の要綱では、1年ごとの更新を6回に限り認めている。すなわち、7年目には雇止めとなる。この要綱の見直しを求める陳情だ。
 「非正規公務員にとって、最大の課題は雇止めといっても過言ではない。」(神林陽治『非正規公務員の現在』)と言われている。民間では労働契約法の一部が改正され、通算5年を超えた場合は「無期労働契約への転換(18条)」(2012年8月10日公布)ができるようになった。来年4月にはその第一陣が出る。しかし、非正規公務員にはこの定めはなく、裁判によって(非正規公務員の任用継続に関わる「期待権」の)訴えを起こすか、雇用関係を定める条項を変えることで実現するしかない。
 陳情が採択される可能性は薄いが、非正規公務員の問題提起として、また市民サービスの改善という観点からの見直しを主張していきたいと思っている。

 現在、市の窓口や受付で対応してくれる職員を見ていてもその実態は見えてこない。しかし、市民サービスといった面からみると不安はぬぐえない。昨日まで対応してくれていた職員がいつの間にかいなくなり、別の人に代わっている。職務に対する習熟度や継続性は大丈夫なのだろうか。正規の職員だって配置転換で他の部署に移ることはある。それでも同じ市職員であれば、配転後の連絡調整は可能であろう。
 何よりも恐れるのは仕事に対する情熱が剥奪されてしまわないかということである。つまり、勤労意欲の空洞化だ。正規の職員であれば、当該の自治体をよりよくしていくために工夫を重ね、さらなる改善を図ろうとするだろう。しかし明日雇止めを予定されているものに、そのような情熱が持てるだろうか。

 日本型雇用形態が消滅しかかっている。いわゆる年功序列型終身雇用体系の瓦解だ。代わって成果主義もとづく雇用形態の多様化が進んでいる。そのひとつが派遣社員・契約社員などの非正規雇用である。
 年功序列や終身雇用のすべてが良いわけではない。しかし今日の状況から振り返れば、見直すべき点も多くあったように思える。雇用関係の変化や労働環境の悪化が生産・流通・サービス実態の空洞化につながっているのではないか。食品偽装や検査データの改ざんなど、近年、企業倫理を疑うような事件が多い。はたして雇用関係の変化と企業倫理の崩壊に関わりがないと言えるだろうか。
(2017.11.8)



松葉づえ

 昨年の10月には、繰り返す肩の脱臼のため、ついに手術となった。同じく11月の今頃には近くの病院でリハビリを始めたばかりだった。
 脱臼のリハビリが完全には終了していない今月下旬、交通事故にみまわれた。バイクを運転していた時のことだ。左から出てきた自家用車に当てられ、左下肢の骨を折るケガを負った(大ケガに聞こえるが、実はそれほどでもない)。

 はじめは捻挫ぐらいに考えていた。打ち身の傷はあったが、何とか立てたし、痛みもそれほど強くはなかった。救急で運び込まれた病院でレントゲンを撮ったら、左脚の腓骨という骨が折れているとのこと。脛骨という太い骨に寄り添うようにしている細い骨だ。
 ギブス(正確にはシーネ=副木)をあて、包帯でぐるぐる巻きらして固定される。それでも左足に重心はかけられないので、移動は松葉づえ。
 救急で運び込まれた病院で、簡単な操作方法を教わり自宅に戻る(この間、加害者との話し合い・交通警察の事情聴取・救急隊員の対応処置などいろいろあったが割愛する)。

 松葉づえ初心者だから、室内での移動も思った以上に面倒だ。特にトイレでの動き。狭いうえに、その中では様々な動作をしているものだ。いつもは意識することなくやっていることでも、松葉づえを使い、左脚に重心をかけないという制約があると、その一つひとつが見えてくる。

 電気をつけ、ドアを開ける。中に入って、心持ちドア側に立つ。体をドア側に向け、ドアを閉める(一人の時にはこれは省略)。便器のふたを開け、所定の位置まで自分の体を左1/4回転させる。右足の1本立ちになり、松葉づえを壁に立てかける。下肢の着衣を下ろす。トイレのバーにつかまった状態で、ゆっくりと腰を下ろす。用を足し、事後の処置をする。バーにつかまって立ち上がり、右足1本立ちになる。着衣を引き上げる。松葉づえを取って体を支え、体を半回転させる。少し便器側に近づき、水を流す。身を乗り出すようにして、貯水タンクのうえに出てくる細い流れで軽く手を洗う。手についた水を切り、左45度の壁にかかっているタオルで手をふく。特に便器のふたはおろさない(後の使用者のことまで考えない)。松葉づえで体を支え、体を半回転させる。松葉づえでドア側に寄り、ドアを開ける。外に出て体を半回転させ、ドアを閉め、電気を消す。

 とまあ、こんなところがトイレでの一連の流れだ。心臓の薬の中に利尿剤が混じっている。朝食後後これを飲むと、少なくとも、午前中は頻尿状態だ。そのたびに、この一連の動作をこなさなければならない。トイレにバーがついていることがどれだけありがたかったか、改めて思い知ることになった。また、このマンションが段差フリーになっていることも有難かった。
 トイレでの動きは面倒だが、和式便器でなかったのが幸いだ。バーがついていたとしても、和式だとほとんど不可能だろう。

 事故から5日たった。松葉づえはわきの下で支えるものではなく、掌の腹で支えるものだということも初めて知った。はじめのうちは上腕の筋肉が痛かったが、少しずつ慣れてきた。もっと使い続ければ、移動に関してはもう少し楽になるだろう。
 骨がつくまで1か月から2か月、完全に元に戻るには半年と言われている。しばらくは松葉づえ生活が続く。
(201711.26)



住民運動

 「おもしろ…」にも「住民運動」を書いたが、ここでは別に項を設けて書くことにする。マンション問題からは離れてしまうからだ。

 日常の生活を送っている中で、ふとこれは変だと思うことがある。その多くはメディア(中でも、新聞報道が多い)からの情報による。
 例えば今日(2017.11.8)の新聞紙面の中に、来年度から、生活保護受給者はジェネリック医薬品(後発薬)を原則とするという方針を厚生労働省が固めたとある。そのまま読み飛ばしてしまうのには何か居心地の悪さを感じた。後発薬がすべて先発薬と全く同じものであるかどうかは分からない。しかし、もしそうだったとしてもその違和感は変わらない。
 Aという先発薬の代わりにaという後発薬が処方される。それは半ば強制的だ。aが処方されている人は生活保護受給者である可能性が高いということになる。逆に言うと、Aが処方されている人は必ず非生活保護受給者である。これは差別そのものではないのか。
 保険適用の全ての人たちに後発薬処方を原則とするならば、まだわからないではない。しかし、生活保護を受けている人達のみにターゲットを絞って後発薬処方を強制することは、差別以外の何物でもない。異議を申し立てにくい弱者に対するいじめであろう。
 こんなことは日常茶飯事である。廃プラ施設反対の住民運動にかかわるようになったのも、そんな日常的な違和感からだった。

 この辺りはマンション街といってもいいくらい高層住宅が林立している。市の中でも特異な地区だ。近年高さ制限が定められたが、それ以前に作られた10階建て以上のマンションも珍しくはない。そのような中にあって多少ほっとできる空間が、廃プラ施設建設計画がある区画だ。ここにはゲートボールやサッカーなど多目的に使えるグランドや、比較的低層な給食センター・老人福祉施設・社宅などの建物が立ち並ぶ。この地区に3年前に突然パチンコ屋がオープンした。
 「忽然と」といった表現がぴったりするほど、それは出来上がった。なんでこんなところに、という疑問を持ったのは自分一人ではなかったろう。すぐ南側には老人福祉施設(老人ホーム)がある。近くには大規模小売店(スーパー)が2店も営業している。社宅やマンションもたくさんあり、学齢の子供たちが近くを通ることも多い。中小企業大学校という学校施設もある。パチンコ屋があっていい場所ではない。都市計画指針はどうなっているのだと思った。疑問と怒りは市当局に向いた。
 廃プラ施設反対運動に加わってから聞いたのだが、近くのマンションを中心に反対運動も展開したとのこと。しかしメディアでの取り上げはなかったし、ビラなどの配布物が入っていた記憶もない。風俗営業法や都条例に抵触することはなかったのだろう。民間の施設ということもあり、住民公聴会や説明会も必要なく、あっという間に出あがってしまったのだという。

 廃プラ施設建設に関しても、これとまったく同様の感触を持ったのがきっかけだ。
 地域住民の理解と協力を求めるため(との名目だが、実質的には住民理解を得たというアリバイ作りのための会議)の地域連絡協議会にマンション管理組合理事長として参加する以前から、なんでこんなところに廃プラ施設を作るのかという疑問はあった。それはパチンコ屋以上の違和感だった。
 確かに建設を計画している用地は、以前から市の暫定リサイクル施設としてカン・ビンなどの資源ごみを集めて回収ルートに乗せるところではあった。しかしそれは市単独の施設であり、規模も小さく、何棟かのプレハブ施設が建っていたにすぎない。新施設は近隣2市も含めた、廃棄プラスチックの中間処理施設である。規模も内容も全く違う。地上3階・地下1階、高さ21m以上になる建物が敷地いっぱいに建てられる計画である。そのために、条例による緑化が敷地内で収まらず、屋上緑化で帳尻を合わせるような状態になっている。
 廃プラ施設反対の住民運動にかかわるようになってから、税金の使い方としての疑問(そもそも不要の施設)や、VOC(揮発性有機化合物)発生の恐れとか、手続き上の不備など、様々な問題を知るようになったが、きっかけはあくまでも「なんでこんな所に?」という違和感だった。署名集めやビラ配りの時に地域住民から得られる反応は、圧倒的にそのようなものであった。それは「地域エゴ」と言われるようなものとは一線を画すものである。自分がその土地に住んでいなくとも、その場所に立てばだれでもが感じる居心地の悪さである。
 法的には一切の瑕疵がないということは物事の真理ではない。地域住民の感触はまっとうであり、必ず不審を探り当てる。「でも、変だよね…」という引っかかり、それを掘り起こしていけば何らかの問題に突き当たる。

 先日、地域連絡協議会の解散を告げる通知が当局側から届いた。新施設着工を見越して、もはや同協議会の役割は終わったということか。協議会がアリバイづくりのものでしかなかったことがこれで明らかになった。しかし、もし施設ができたとしても、パチンコ屋に対するのと同様、住民の持つ違和感は消えることはないし、反対運動は続くだろう。
(2017.11.8)



マンション理事会おもしろ体験記I
「敗退」

 ぼくがマンション管理組合理事長になったのは、管理組合の理事会が正当に機能していないのではないかと考えたからだ。輪番制で一期だけ事をやったあとは、お役御免で降りればよかったものを好きこのんで再任を希望(理事の再任は妨げないという規約がある)し、自分の器も顧みず理事長に就任した。
 理事長就任にあたっては、全戸に挨拶文を配り、以下のことを目指すと宣言した。
  @理事任期の2年延長・半数改選(現状は1年任期全員改選)
  Aマンション管理士の導入
  B周辺マンションとの協議
 この中で実現したのはBくらいだ。貴重な情報も得ることができたし、いろいろな人たちに巡り合うこともできた。マンションのことより、自分が一番得をしたのではないかと思っている。
 だが、残り2つについては先の理事会で完全に破綻した。

 マンション管理組合や理事会は、ある意味、最も身近な民主主義の経験の場だ。専有区画を除くマンションの共有財産を管理し、居住に関するルールを定め、日々のトラブルに対処する。
 マンション管理の代表者である理事は、基本的に立候補で選ばれる。立候補がいない場合、事前に決めてあった輪番のルールに基づき選任する。理事長も立候補で選ばれるが、いない場合はくじ引きでの選出となる。だが現実的には、理事にも理事長にも立候補する人はほとんどいないので、輪番とくじ引きによる選出だ。
 規約の改正や予算の編成・報告、大きな契約上の改変や新規契約は総会を開いて全員の投票で決定される。これも民主主義的手続きに則って行われる。
 以上のように、手続き的には文句のつけようもない形式で運営される管理組合も、居住者の関心が薄く、理事になっても自覚的に関わらないと、いきおい管理会社お任せのマンション管理運営にならざるを得ない。それは国家行政と国民という構図と同じである。マンション管理会社にあたるのが行政当局や政権与党ということになる。
 国で言えば税金にあたるのが、居住者が負担するマンションの修繕積立金と管理費というわけだ。その使い道を決めるのが管理組合であり、具体的・日常的には理事会である。しかし、実質的には管理会社の提案する内容に沿ってすすめられるので、管理会社の占める位置は小さくはない。しかもそこには「野党」がいない。国政の場には、少数ではあるが野党がいて反対もする。
 1年間の理事経験を経て、上記のような認識が自分にはあった。そして理事長選にも手を挙げた。

 新しい理事会がスタートして半年もたち、新規理事も理事会活動について大方の認識が持てるようになっただろうとの判断のもと、懸案だった理事任期の延長とマンション管理士の導入について総会にかけるべく、理事会に諮ってみた。
 その結果が@については、現状に大きな不満はなく必要性なし。Aについては現実的な理由から困難であるとして簡単に否決となった。@、Aについて、自分もかつてはそうだったから強くは言えない。革命の必要性をいくら説いても、民衆が貧困と抑圧を感じていなければ革命は成就しないのと似ていないこともない。しかし主体的に考えれば、ひとえに自分の熱意の不足と、説得力のなさにその原因を求めなければならないだろう。
 チラシの全戸配布までして、あんな大風呂敷を広げなければよかった。大きな目標を失った理事長はテンションも下がりっぱなしだ。だが、反面ほっとしている理事長でもある。
 それでも管理組合は止まらない。理事会はこれからも続く。肩の力が抜けても歩き続ければ、また新たな課題が見つかるかもしれない。それを期待して残りの任期を務めよう。
(2017.10.17)



マンション理事会おもしろ体験記H
「続・署名」

 ぼくの狭い生活経験から居住形態の分類をしてみると、以下のようなものになる。
 まず、戸建てと集合住宅(このほかに路上生活やネットカフェ難民などもあるが、これなどはいわゆる「ホームレス」だから居住形態には入らないだろう。)に分けられる。集合住宅には長屋型と団地型がある。長屋型は基本的にすべての居住区画が地面に接している。団地型は長屋型を上方に積み上げた形だ。ここまでが形状。
 ここからは様態で2つに分けてみる。開放型と閉鎖型だ。戸建ては1軒単位についてみてみれば閉鎖型だが、地区全体が閉鎖型というのはないだろう(地域や時代を限らなければ、開放型の戸建ても、地区全体が閉鎖型というのもないわけではない)。閉鎖型の長屋というのもあまり聞いたことがない。つまり、閉鎖型というのは団地型にのみ見られる特質だ。
 閉鎖型というのは、いわゆるセキュリティー上の観点から、外部からの出入りが制限されている。個別の占有区画だけではなく、共有の居住区域に入るだけでもカギか必要となり、管理人が常駐していることが多い。近年のいわゆる「マンション」とよばれる住宅はこの形態のものがほとんどで、快適性・安全性を売りにしている。いっぽう開放型は旧来の公営団地などに見られるごとく、外部からの出入りが自由である。以上の分類は形態のみで、賃貸か分譲かは関係ない。ただし、分譲のほうが色濃く出るのではないかという気がしている。
 うちのマンションなどは閉鎖型の団地ということになる。入居前から予想していなかったわけではないが、居住者間の付き合いは極めて薄い。プライバシー尊重されていると言えるが、互いのことに無関心とも言える。それでいて団地内では住民間で挨拶(だけは)が交わされることが多い。しかし、団地を出るとその限りではない。このようなことが無言律ともなっている。
 署名のことを説明する前提として、どんな所に住んでいるのかによって理解の度合いも違ってくるのではないかと思い、長々と書いた。

 先に「署名」のところで触れたが、戸別訪問して署名をお願いするのは気を遣うし、結構疲れる。こちらが何号室だれそれと名のること、何のためにお訪ねしたか知らせること、今時間をとってもらえるか確認すること、インターフォン越しに相手方が断る口実を必ず事前に与えておくことなどなど、ドアを開けてもらうまえの「手続き」がいろいろと必要だ。ドアを開けてもらっても、ずけずけとこちらの主張を述べるのははばかられる。署名を断る逃げ道を残しておく。これだけの配慮をしても反発は必ずある。
 理事長が署名集めに来たから問題だと主張する者がいる。そもそもマンション内で署名集めは禁じられていると思い込んでいるフシもある。署名集めは政治活動だという判断をしているらしい。マンション管理会社に「なんとかしろ」「理事長を辞めさせろ」と泣きつく匿名氏がいる。
 この手の輩に、こちらは個人として活動しているのだと言ってもわからないだろう。近隣での問題なので関心を持ってほしいと言っても無駄だ。規約には署名活動を禁止するような条文はないと説明しても、迷惑だからやめろというにきまっている。はては規約を作れというだろう。政治的な活動でないものなどないのだと説明しても理解できないだろう。マンション管理会社が管理組合を管理していると勘違いしているおっちょこちょいなのだから。個人名はさらさずに文句だけ言ってくる人物にまともな対応をする気はないが、それでも表現の自由を考えさせられるきっかけにはなった。

 近くのマンションには、署名活動やビラ入れを一切禁止しているところがある(それもいかがなものかとは思うが…)。禁止と言われたって、広告チラシのように撒いてしまえば大丈夫だろうと考えたが、このマンションでは24時間常駐のガードマンがいて、監視カメラでとらえられるとすぐにガードマンがとんでくるらしい。
 これは極端な例だが、一般的には入り口に「チラシ配布禁止」の立て看板があるくらいで、それほど厳しい規制はない。まして居住者のビラ入れや戸別訪問による署名活動などは禁じられてはいないだろう。少なくともうちのマンションでは管理規約にそのような条文はない。
 個人的にはチラシの一律配布禁止もどうかと思う。確かに、宣伝チラシが多量・常習的に入っていたりすると、捨てるのさえ面倒くさいと思わないではない。だが、政党チラシや宣伝チラシも含め、それもある意味地域情報だ。これを一律禁止にするよりは、面倒をしのぶほうが被害は少ない。個人的に迷惑だと考える居住者は、ポストに「チラシお断り」の張り紙でもつければいいことだ。
 部外者の戸別訪問によるセールスなどは別として、居住者の戸別訪問による署名活動まで禁止してしまうのは表現の自由を侵す恐れがある。これは宗教活動についても同じだ。来訪があっても、インターフォン越しに断ってもいいし、対面してはっきりと断ればより効果がある。もちろん反対に、署名や布教に応じる場合もあるだろう。人間関係とは本来そのようなものではなかったのか。
 マンションという閉鎖型の団地に住んでいると、セキュリティーや安全性を重視して、とかく面倒な人間関係を遮断してしまいがちになる。そのことによって失っているものも多いということに、もっと自覚的になる必要はないのか。
(2017.10.17)



マンション理事会おもしろ体験記G
「市民運動会」


 管理組合の理事長をしていると、地域での付き合いも多くなる。もともとマンション管理組合の情報がほしくていろいろなところに出かけていたのだから、仕方ないことでもある。

 この地域は、戸建ての住宅地とマンション群が道路一本隔てて向き合っている。それがひとつに合わさって自治組織を形成している。大まかにいうと、複数の自治会と複数のマンション管理組合の連合体だ。おもしろいことに、住む環境も、隣近所の付き合い方も違うグループがひとつのまとまりになっている。
 市がこんなくくりをしたのは、管理組合だけだと市の望むような自治組織にはなりえないだろうという判断のもと、地域の自治会と抱き合わせにして組織化したのではないかと、勝手に想像している。それにしても、地域自治会と比べれば管理組合の参加率は低い。なかには全く参加していない管理組合もある。出ているだけましなのだ。

 自治会中心の自治組織だが、全体としては活発、かつ頻繁に活動をしている。その主体は防災活動だが、自治会ごとの祭りや市の行事などへの参加意欲も旺盛である。管理組合が自治会の祭りに参加することはまずないが、市民運動会には自治組織の係員として参加が割り振られる。
 実は、この運動会を利用してうちのマンションがひとまとまりになる機会にしたいと、ひそかに算段した。団体競技にマンション単位で出ることができたら楽しかろうし、いい思い出にもなる。マンション住民に2月も前からポスターやチラシで呼びかけを行った。
 後日地域自治組織としての参加募集あったが、上記事情を説明し、当マンションとして別枠で参加したい旨を伝えた。役員の方からはひんしゅくを買ったきらいがある。しかし自分としては、まず身内のまとまりが大事だと思うと大見得をきった。
 結果、マンション内での参加希望者はゼロ。落胆はするは、自治組織には顔向けできないやらで、気持ちはしぼんだ。それでも係員として参加はする意思を伝えていたので、市民運動会には早朝から参加、実施部員としての仕事に臨んだ。
 ここまでは「前振り」である。

 テントを立てたり、椅子や机を運んだりして、みんなで準備をする。
 そして開会式。トラックに自治会ごとに整列。開会宣言の後、「国旗掲揚!掲揚台の方をむいてください」 予測していなかったわけではない。整列のあたりから、何やら嫌な予感がしていたのだ。それでも全員の動きに合わせて自分も右90度の方向に体を回転させていた。続いて「国歌斉唱!」 まさか歌いはしなかったが、強い敗北感にとらわれるとともに、運動会なんかに参加しなければよかったという後悔の念がわいてくる。
 ふと、NFLの選手たちが片膝をついて首を垂れる姿が思い浮かぶ。彼らは、おびただしい衆人環視の中で、自らを異化する行為をあえて行っているのだ。そして、職場では不起立を(完全にではないが)してきた自分は何だったのか、という思いにもとらわれる。
 従わなかったといって罰が課されるわけではない。仕事ではないのだから(仕事だからいいというわけではないが)、処分が降りかかることはない。ここでは制度的な強制力はないのだ。あるとすれば、異端視されることへの恐れというか、いわゆる「同調圧力」というものだろう。自分も結局それに従ってしまった。行動(非行動)は、もっぱら自分の意志によるものだ。
 地元のブラスバンド部のグループも来ていた(彼らは表彰式の伴奏や余興で活躍していた)が、演奏は(おそらく)レコードであったように思う。声高らかに歌っている人たち(とくに若い人たち)は少ないが、唱和している声も聞こえてくる。
 言い訳はいろいろできる。知り合いの多い中で旗幟を鮮明にすることの困難さ、全員の動きに逆らうことの気恥ずかしさ、大人げない・協調性がないと言われることへのためらい。そのいずれもが言い訳に過ぎないと自分が自分につぶやいている。

 心の準備ができていなかったという言い訳も空しい。閉会式でも同じことがあったのだ。この時は気持ち正対から身を外したが、しょせん自己満足にすぎない。動かないことで反対の意思は示していない。
 そもそも運動会で国歌斉唱する意味があるのか、政治の右傾化と軌を一にした行為であるとか批判するのは(たやすくはないが、)できる。しかし、そのどれもが空虚だ。
 運動会での身体的な疲れより、精神的な疲労が強く残った一日ではあった。

 同じ事があったら、今度こそ意思を貫徹するとは、いま言い切ることができない。でも、これで終わりにしたくはない。次なる遭遇を試練ととらえるか、チャンスととらえるか、ひとえに自分の意志にかかっている。あきらめたくはない。
(2017.9.28)



マンション理事会おもしろ体験記F
「署名」


 近くに廃プラ施設建設される予定になっていて、いろいろ問題になっているということは先の「住民運動」で詳しく述べた。ぼくもそのことに首を突っ込み、今では半身ぐらい泥沼に埋まってしまった。
 このままだと、市当局はスケジュール通りことをすすめ、12月には新工場着工となってしまう。周辺地域の住民は反対を唱えているが、行政当局の圧倒的な力と、政治力のない市民では勝敗は見えている。「地域エゴ」という心無い非難もないわけではない。反対していた住民もあきらめムードが漂い、条件闘争に切り替えることで脱落していった方も少なくない。
 ところが、ここで思わぬ伏兵が現れた。周辺地域とは少し離れた地域住民から、廃プラ施設を問題視する声が上がり始めたのだ。市政を考えるグループが、財政上も大きな問題があるとの指摘をし、建設計画の一時ストップを要求することになった。具体的には市議会に陳情を出し、議会での可決をねらい、結果的に新工場着工の動きにプレッシャーを与えようというわけだ。
 廃プラ施設反対をすすめていた人たちにとって、市議会で陳情が可決され、着工が停止されること自体は歓迎すべきことである。陳情にさらに力を与えるため、各マンションや自治会でも署名を集めることになった

 当然ぼくも署名集めを担うべきひとりだ。ところが、ここでふと立ち止まって考えた。理事長自らマンション内で署名集めをしたらどうなるか。このご時世、まさか「アナキスト」「非国民」はないだろうが、「〇〇主義者」「変わり者」のレッテルを張られることにはならないか。そのどれもがあながち間違いとは言えないが、自分にとっての「本丸」、理事の半数2年任期改正に悪影響が及ぶのではないかと不安がよぎる。
 反対運動をしている皆さんには、署名は集めるけれどマンション内ではできませんと、条件付協力を申し入れた。皆さんも、それでいったん了解してくれた。でも、個人的にはまだ悩んでいた。今ここで、いい子ぶって理事長を続けていても、結局後悔することになるのではないか。
 任期改正に臨んでも、そんなことではうまくいきそうもない予感がした。そしてついに、このことが逆に良い結果を招くかもしれないと、物事を良い方向に考えるようになった。

 このマンションは全世帯で200戸以上ある。タワーマンションではないが、いわゆる大規模マンションの部類に入る。署名集めは水が流れるがごとく、最上階から下に向かって流れる。集め始めて初めてすぐに気づいた。思いのほか時間がかかる。
 まずドアを開けてもらう前に、インターフォンで何号室の誰それと名のり、署名をお願いに伺ったのだが、お時間をいただけるかどうか了解を得る。相手方に「今忙しいので…」と断る口実を与えてやる。このへんがマンション住まいの、さらに同じマンションの住民どうしの難しいところだ。
 署名をもらう段になっても、まずその趣旨を説明しなければならない。廃プラ問題は理事会として協議会に参加はしているが(「住民運動」参照)、署名活動は理事長としてではなく、もっぱら個人として行っていること、いろいろな考え方があるのだから、無理して書かなくともよい、等々懇切丁寧に説明する。これでは、署名を頼んでいるのだか、断っているのだかわからない。
 こんなことをやっていたら、とても1日では回り切れない。同じ言葉ばかり繰り返しているから口も疲れるし、乾いてくる。「いま主人がいないので」とか「子供が泣いてしまって」とか言われて断られると、ほっとしている自分に気づいたりする。それでも、よくぞ反対の署名集めをしてくれた、なんで反対の運動が起こらないのか不思議だったとかの言葉を聞くと、疲れが一気に抜ける。中には、署名を集め、ぼくの部屋まで届けてくれる人までいた。こうなると狂喜乱舞するくらい嬉しい。
 1階分が終わった段階で、少なく見積もっても2日はかかると判断するに至る。

 2日目になると、さすがに慣れてきて、口上も滑らかとなる。めったに行かない階や片隅まで出かけたり、思わず生活の「におい」を感じたりすると、ああ、やっぱりそれぞれの生活があるんだなあと改めて思ったりもする。どこかで会ったことがある方だと思い聞いてみると、近くの体育館や図書館で見かけた人だったり、通勤の折(僕はお散歩の帰り)に会った人だったりする。「ここの部屋だったんですか」なんて気か安く言葉を交わす。いつもは「戦闘服」(スーツ)に身を包んでいるからなかなかわからなかったのだ。
 それでも午後になると疲労がたまってきて、次第に修行僧のようになって歩を運ぶ。はじめのうちは、留守宅を控えていた。後で再訪するつもりだったのが、途中から記入することもなくなった。再度訪れることはないだろう程に疲れていたのだ。署名を集めているのに、留守だったりするとなぜか安心してしまう。さっさと次の部屋に移りチャイムを押す。
 こうしてついに最後の1戸にたどり着く。正確には「最後」とは言えない。半分近くは留守だったから。それでも何か大きな仕事を成し遂げたような気分になり、理事長は晩酌の待っている自分の部屋に引き上げるのであった。
(2017.8.28)

これ以前のデータは「つれづれなる風・三の蔵」に保存してあります。








































































































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