つれづれなる風 五の蔵




   

保存データ:2018.5.182018.8.10


これ以降のデータは「つれづれなる風・六の蔵」をご覧ください。

わたしはこれを望んだのか

 7月6日、オウム真理教教祖麻原元死刑囚ら7人に対する刑が執行された。続いて20日後の7月26日、オウム真理教の元幹部6人に対する死刑が執行された。連続して行われた処刑。刑の執行に至る経過や根拠、執行時の様子など、未解明な部分も多い。また政権内の対応など問題点も指摘されている。我々は、いやわたしはこれをどう受け止めればいいのか。
 2か月後の2018年8月8日、東京新聞夕刊「文化欄」に辺見庸による「ひとびとはこれを望んだのか」(クリックで開ききます)という一文が載っていた。読まれた方も多いと思う。ぼくはそこに読み捨てにできない情念の力を感じた。そして、「わたしはこれを望んだのか」と置き換えて受け止めることが自己の責務と思った。

 正直に言えば、死刑制度は反対だが教祖の麻原だけは死刑にされて当然とぼくは思い、口に出したことさえある。自分の信念と引き比べ、おかしいことは百も承知でそのように考えたのはなぜか。以下はその根拠を示すものでもなく、言い訳でもない。
 自分は暴力には弱い人間だと思っている。激情にかられたものであれ、冷徹なものであれ、向き出しの暴力には抵抗はおろか、逃げることさえできず、足がすくんでしまうタイプだ。ちょっと動いただけで息切れがしてしまうような昨今の体調だからではない。自覚していようとしていまいと、気力・体力が充実していた時からそういった心性だったろう。ヘナチョコ、臆病、弱虫、ヘタレ、腰抜け、すべてが自分にあてはまる。
 国によるものであれ、その他の組織的、個人的なものであれ、暴力的なものからは身を遠ざけていたいと、心から願っている。自分にとって、軍隊、暴力団、体育会的な集団は最も関わりになりたくない集団だ。戦争・軍隊・徴兵制に反対なのも、それに連なる天皇制に反対なのも、存外そんな個人的、皮膚感覚的なところから発しているのかもしれない。
 現下の日本で「普通に」暮らしている限り、有無を言わせぬ暴力にさらされることは(めったに)ない。まして徴兵制のない日本では、軍隊に引っ張られ、命をさらすなどという懸念は(今のところ)ない。ある意味、こんな時代に生まれ育ってきて本当に良かったと思う。体制によって命を脅かされることがない状態を一日でも長く続けたいとしんから思う。

 オウムの事件が次々と明らかになってきたとき、恐ろしさを覚えた。身の危険を感じたといってもいい。有無を言わさぬ殺意。「ボア」と呼ばれた理不尽な暴力が横行していた。それは非合法ではあったが、ひとつの国家的な意思、別の権力体制によるものに思えた。
 辺見氏の言う「オウム真理教というカルトは、人命への恐れを欠くことにより、国家悪を一歩も乗りこえることができず、奇形の『国家内国家』として滅んだ。その『ボア』の思想は、国家による死刑のそれとは、劃然(かくぜん)とことなるようでいて、非人間性においてかさなるところがある。」と感覚的には似ている。
 だからかどうかは分からないが、臆病な自分が身の危険を感じて、麻原を亡き者にすべきだと瞬時に判断、または反応していたのだろう。死に対する具体的なイメージを想起することもなく。

 (戦後「太平洋戦争」と呼ばれた)大東亜戦争において、多くの日本国民が想像を絶する戦禍にみまわれた。同じ日本国民が朝鮮・中国、その他のアジアの人民に塗炭の苦しみを与え、凌辱の限りを尽くした。敗戦後、多くの戦争犯罪人が極東国際軍事裁判所によって裁かれ、上は元首相から下は二等兵まで、処刑、投獄された。しかし、その最高指導者たる天皇裕仁は戦後も生き延び、天寿をまっとうした。
 本来なら日本国民から糾弾され、アジア人民からは怨嗟の対象となり、殺してもなお飽き足らない存在であったその人が生き永らえる。処刑されないまでも裁かれるべきであったが、それすらもなされていない。いっぽうに一兵卒であっても処刑された者がいるのに、だ。これは不道徳ではないのか。
 そのように考えるから麻原の処刑を了解してしまうのではない。了解してしまいがちになるのは、あくまでも自分の弱さからだ。そのことは自覚しなければならない。

 暴力の象徴たる天皇が生き延び、暴力の権化である麻原が処刑される。このことに整理しがたいジレンマがある。いっそ、「死刑制度には例外なく反対」と言ってしまえば楽なのかもしれない。しかし、麻原の処刑がなされてしまった後になって、そういう物言いはできない。
 自分が一番恐れていた国家による暴力行為、その極限の形である「死刑」(辺見氏はこれを「究極の頽廃」だと言っている)。それを受け入れないまでも、反対だと明言しづらかったのは、まさに自分の弱さだ。「国家内国家」を恐れるあまり、国家による犯罪行為を否定できなかったことになる。
(2018.8.10)



最後は「金目」か?

 交通事故の示談交渉がまとまった。日弁連の「交通事故相談センター」に持ち込み、弁護士の仲介で示談が成立したのだ。立川での相談が3回、霞が関の弁護士会館での斡旋が2回を経たうえでの成立だった。
 詳しい額についての記述は避けるが、当初保険会社が示した慰謝料(わずかな額であったが、ここに含意として「家事労働の休業補償」等が含まれるとの保険会社の説明あり)に比べ、ほぼ80%増だった。斡旋に持ち込まなければ当初の提示額のままだったことを考えれば、手間と時間をかけた甲斐はあったというものだが、最初の保険会社の提示額は何だったのかということになる。
 もちろんそれが「自賠責基準」と言われるものと知ってはいたが、交渉しなければ保険会社の手によって自動的に計算され提示される。それで本人が納得すればよいのだろうが、今回は「家事労働の休業補償」「家人による労務費補償」という要求が認められなかったため交渉に持ち込んだ(この他にも細かいところではいろいろあった)。
 保険会社の言い分は以下のようなものだった。
  @自賠責基準では、配偶者のいる年金生活者の家事専業労働は認められない。
  A通院等による自家用車の使用については1q15円のみ補償する。
 これに対し、こちらは次のように主張した。
  @家事労専業働は実態に即して考えるべきで、主たる収入が年金収入であることと、配偶者が存在するこ
   とは、それを否定する根拠にはならない。
  Aタクシー代が補償されるのであれば、家人による運転に関わる労務費も補償の対象となるべき。
 弁護士からのアドバイスは以下のような内容であった。
  @裁判では認められる可能性があるが、立証は被害者側がする必要があるので難しい。それよりは慰謝料
   の増額で解決したほうが賢明である。
  A現状の損害賠償では上記基準が一般的である。

 弁護士による斡旋の結果は初めに述べたようになったわけだが、最後に保険会社から提示された慰謝料の額で迷った。総額としては、こちらが主張している内容に照らして、それに近いものだった。わずかに及ばないとはいうものの、その額を巡って、上記主張に基づき裁判に持ち込むか否かである。
 裁判で争って認められる可能性は、やり方次第だろうが、@については強くAについては薄い。個人的には主張の正当性はあると思っている。だが金額とすればわずかである。そのために更に時間と労力をかけるのか。
 「主張が正しいと思うのなら、社会的な責任としても裁判で争い、決着をつけるべきだ」と言うもう一人の自分の声がする。話は飛ぶが、「日の丸・君が代訴訟」のように重大な問題をはらんでいればその価値は充分にあると思う。しかし、と考えてしまった。
 実利をとるか主張こだわるかという、二者択一の問題とは単純に言いきれない要素が絡む。当事者としては、「実利をとった」と言われてしまうことには抵抗がある。ましてや「金目だろう」などと揶揄される筋合いはない。
 黒か白か、はっきり決着がつけられない中で決めてしまったひとつの選択。生きていれば常にある一番広い道、灰色の道。灰色であることを自覚しながら進むしかないのだろう。

 立川の交通事故相談センターの弁護士には次のように書き送り、報告した。
  【前略】斡旋結果は当方の主張額(略)にはわずかに及びませんでしたが、受け入れることにしました。
  他方、「家事労働の休業補償」「家人の労務費補償」については、裁判で主張することも社会的な使命か
  とも考え、悩みました。声を挙げなければ何も変わらない(裁判に持ち込んだからといって、すべてが勝
  てる見込みがあるわけではないとは言われました)とは思いつつ、示談に応じてしまったことには忸怩た
  るものがあります。【後略】
※ちなみに、この手紙は届くことはなかった。斡旋終了後は、報告もお礼も相談センターとしていっさい受け
 付けないことになっているらしい。
(2018.8.9)



教育委員会(道徳教科書採択)傍聴
―特別支援学級の教科書採択から小中学校の教科書採択を逆照射する―

 市の教育委員会の傍聴をしたのはこれで2度目だった。
 前もそうだったが、なんで写真・動画の撮影、録音が認められないのか疑問だ。本来なら同時中継してもいいくらいではないか。筆記具での記録は妨げられない。では何故写真・録音・動画はダメなのか。念の入ったことに議案書も出口で回収される(当市の市議会や審議会では、資料は持ち帰ることができる)。
 こんな秘密主義で何をやっているかと言えば、大の大人(しかも小中学校の校長であったりする)が手を挙げてから指名され、発言する。まるで学級委員会ごっこだ。この日も、小学校の校長が指名される前に発言し、教育長から注意を受ける一幕もあった。

 書き始めるときりがないので、報告に入る。
 学級委員ではなく、教育委員は委員長含め5人。これに対し、教科書調査なんとかかんとかの作成会議(教科書を実際に読み比べその結果を市教委に報告する諮問委員会のようなもの=市内小学校長2名・中学校長1名)が報告、それを受けて市教委が質問・意見を述べ、採択する、という手順。
 採択の結果は東京書籍1・教育出版3・光村図書1で、中学校度徳教科書は教育出版に決まった。

 お隣の市の「育てる会」のニュースによれば、日本教科書・あかつき・教育出版は、道徳の成績を自分で5段階評価するようになっていることから、問題が多いとされている。実物を見たわけではないので、確かなことは言えないが、その通りだとすれば問題がある。
 文部科学省さえも、「『特別の教科 道徳』の指導方法・評価等について(報告)【概要】」の「道徳科における評価の在り方」で「道徳科の特質を踏まえれば、評価に当たって、数値による評価ではなく、記述式とすること、(後略)」としている。「生徒の自己評価だから、数値での評価はいいだろう」という問題ではない。
 公教育において、心に踏み込むような指導がなされることがそもそもおかしい。教育基本法を改悪した安倍政権が、道徳教育で狙っているのは愛国心だ。国家を愛することが価値あることとする。公(おおやけ)による私(わたくし)への介入だ。

 今日の(に限らないが、)教育委員会傍聴で気になったことがもう一つある。特別支援学級の教科書採択方法だ。
小学校の教科書・中学校の道徳教科書は、それぞれの教科・出版社のすべてにわたって、各1ページを割いて「作成会議」の解説を載せている。しかし、特別支援学校については一覧表での記載(しかも出版社・書籍名等)のみで解説などはない。しかも、一括採択だ。なんだこれは、差別的な扱いではないか。

 特別支援学校・学級の教科書は、学校教育法附則9条一般図書(改正前、「107条本」と現場では呼んでいた)といって、文部科学省が選定した市販の書籍から選べることになっている。現場の先生方が選んだものが(小・中学校の教科書は特別支援学級であれば市区町村ごと、都立の特別支援学校であれば学校ごとに)教育委員会で審議され、ほぼその通り決まる。※
 よく言えば、現場のことは子供たちに直接向き合っている先生方が一番わかっているから、ということなのだろう。だがこうも取れる。例外的な少数者のため、多岐にわたる図書を検討するのは教育委員会の仕事としてそぐわない。
 だが、考えてもほしい。現場の先生方が実情をよく知っているのは、障害のある子供たちに限らない。地域の実情に合った教科書は、地域の学校の(現場の)先生方に任せればいい。ところが決定するのは5名の教育委員なのだ。校長の報告(そこには、現場の先生の意見も少しは入っているかもしれない)は聞いたとしても、である。
 あえて誤解のないように付け加えれば、特別支援学級の教科書採択も小・中学校並みにせよと言っているのではない。現場のことは現場に任せよということが言いたいに過ぎない。

※この「特別支援学校」「特別支援学級」という呼び方も気に入らない。「何が『特別』か!」と思う。これは2007年4月に施行された「学校教育法等の一部を改正する法律」によるものだ。それ以前は「盲・ろう・養護学校」と呼んでいた。
 盲・ろう・養護学校という呼び方が良いとは思わないが、特別支援学校とは、あまりにも大人目線の命名だ。それを気にしてか、「○○学園」とか「○○学級」とするところも多い(歴史があるせいだろうか、盲・ろう学校は従前のままのところが多い)。「特別支援学級」になった根拠は分からないが、上記改正が敷衍されたものだろう。

【以上は、市の教育委員会を傍聴したさい、報告として知人に送ったメールである。
(2018.7.27)



「最後は金目」です

 もう旧聞に属するが、何年か前に、自民党の石原伸晃環境相の「最後は金目でしょ」発言が問題になったことがある。福島県の双葉町・大熊両町に放射性廃棄物を保管する中間貯蔵施設の建設に関しての言いぐさである。
 「最後は金目」という言い方があるのかどうかは分からないが、言いたいことはわかる。「つまるところ、金の多さで決着がつくのでしょ」と言いたかったのだろう。もっと短く言えば「最後は金でしょ」ということになる。そう言ってしまうとあまりに露骨すぎると感じたので、石原は「金目」という語句を使ったのだろうと推察する。
 「金目」という語句の使い方として、果たして適当なのだろうか。広辞苑には次のように記されている。「@金銭に換算した価値。値段。A値段の高いこと。『―のもの』」これを見るとあながち間違いとも言い切れない。ただし、強盗が「金目の物を出せ!」と言うのと比べると多少の違和感がないでもない。
 それはともかく、個人的に似たような体験をしたので記しておきたい。

 昨年の11月に交通事故にあった。左脚腓骨骨折という怪我であった。ギプスで患部を固定し、松葉杖を使用して左脚に負荷をかけないようにする消極的な治療である。原理的に言えば、安静・固定で自然治癒を待つというものだ。
 突然左脚が使えなくなり、そのうえ浮腫みも現れ生活に支障をきたした。それまでやっていた家事は全くできなくなり、すべては配偶者の負担となった。そのうえけが人であるぼく自身に対する介助もある。パートではあるが働いていたので、かけた負担は尋常ではなかったろう。
 さらに、事故の翌月、2人してインフルエンザにかかってしまい、買い物にも行けなくなった。「泣きっ面に蜂」とはまさにこのことだ。1日2日なら蓄えていた食料で何とかなるが、1週間にもなるとそうはいかない。この時は、初めてネットスーパーなるものを利用した。一時的ならば、これはなかなか便利なものだ。
 加害者が誠意をもって接してくれたので、その点でのストレスはなかった。ひたすら生活の不自由に耐える日々が続いた。それでも、ギプスは1カ月弱でとれ、松葉杖も2カ月弱で解除となった。治療通院が終わったのが事故から4カ月ほどたったころだった。
 治療も済んで、いよいよ保険会社から人身に関する損害賠償の連絡があった(物損に関しては、事故後しばらくして示談が成立していた)。電話でのやり取り、書類の提出などを経て、最終的に保険会社から示談内容が提示された。
 しかし、その内容は決して納得できるものではなかった。細かいところではいくつもあるが、大きく分けると2つになる。ひとつは慰謝料算定の範囲をギプス固定期間のみに限っていること、もうひとつは休業補償として(自分自身の)家事労働が認められていないことである。対するこちらの主張は、松葉杖使用期間も慰謝料算定の範囲とすべき、年金受給者の家事労働も休業補償すべきというものだ。
 ここで家事労働について説明しておく。近年は男の家事専業(=主夫)も休業補償の対象として認められるようになっている。しかし、ぼくのように収入(年金)が、配偶者の収入(パート労働)よりも多い場合、(配偶者に障害や病気があれば別だが、)認められにくい傾向がある。

 日弁連の交通事故相談センターによる数次の面接相談を経て、同センターの示談斡旋に臨むことになった。初めての経験である。こちらの言い分がすべて通るとは考えていなかったが、何とか調整ができればいいと期待した。
 面接相談の弁護士さんからも「主張は譲る必要ないですが、最後は金額での解決になることが多いですよ」と言われていた。つまり、当方の申し立て内容が、いかに金額に上乗せされるかが「落としどころ」になるだろうということだ。保険会社からすれば、「お気持ちはよく分かりますが、ご主張のようには公式に判定できないので、慰謝料に相応の額を加味したうえで賠償させていただきます」ということになるのだろうか。とすると、問題はその額になる。
 ここで思い出したのが「最後は金目でしょ」という例の言葉だ。えっ、自分は金の上積みが目的なのか?! そんなつもりはないはずだった。「松葉杖期間は慰謝料算定の範囲」「家事労働は休業補償の対象」というのがこちらの主張で、(結果として金額の加増になるにしても、)金額の上積みが本来の狙いではない。
 だいいち金が狙いなら、加害者の差し出した(少なくない額の)見舞金を断ったりしない。その時相手方には、「こちらの主張に沿った賠償を保険会社からしてもらうつもりなので、あなたからこれを頂戴する気はない」と伝えた。そのことを後悔など全くしていないが、もし頂いておけばこちらの要求額に見合うくらいにはなったはずだ。
 そう考えても、まだ何かすっきりしないのは確かだ。

 考えてみるとこの複雑な心情は、故郷を奪われ、追いやられた原発被災者のものと同じかもしれない。「故郷を返せ!」と叫んでも、失われた故郷はもとには戻らない。それを補償するものは、残念ながら金でしかないのだ。
 被災者からすれば、「金なんぞ要らん! 元の故郷に戻せ!」という気持ちだろう。しかし、それはかなわない。喜んで補償金をもらう者などいないけれど、それでも補償が納得できなければ、補償金の上積みで我慢するしかないのだ。
 原発被災者と比べるのはおこがましいが、心情は理解できるような気がした。被災者も自分と同じような矛盾をかかえつつ東電と交渉し、また裁判に臨んでいるのだろう。そう考えると、石原の揶揄するような発言は絶対に許されない。

 原則的に考えれば、当方の主張が認められない時は裁判に持ち込み、その主張の是非を公に判断してもらう(裁判というものをそれほど絶対化してはいないが、)しかないのであろう。保険会社側の出方によっては、それも選択肢にある。しかし、限られた時間の中でそれが望ましい方法かというと、少し迷う気もある。裁判にかける費用と、獲得できる賠償額とのバランスというのもある(こう考えること自体が原則的ではないのだが……)。また、裁判になれば加害者を被告としなければならず、結果として加害者本人を追い詰めることになるので、できるだけそれは避けたい。
 もろもろの考えが渦巻くが、当面は「最後は金目」で様子を見ようと思っている。
(2018.7.15)



マンション理事会おもしろ体験記【番外編その3】
「マンション等連絡会」

 「マンション理事会おもしろ体験記E 『マンション理事会懇談会』」(「つれづれなる風・三の蔵」所収)にも書いたが、この地区で初めてマンション管理組合の有志の集まりを持ったのが1年前の8月。そこでは、今後も同じような集まりを続けていくこととなった。しかしその後、交通事故で左脚骨折を負ってしまい、しばらくマンション管理組合の集まりは持てずにいた。
 そしてやっと集まりを再開できたのが今年の3月、半年以上の月日が流れてしまったが、前回よりは若干名参加者が増えた。その場で、次回はもう少し幅広く呼び掛けてみようということになり、この地区(「マンション街」と言ってもいいくらいマンションが林立しており、戸建て中心の他の地区とは様相を異にしている。)のすべての分譲マンションに働きかけることにした。
 この地区は、戸建て人口よりマンション居住人口のほうが圧倒的に多い(統計上のデータではないが、直感的にそう思われる)。当市の中では特異な地区となっている。それゆえにこそマンション間の連絡・情報共有の場は必要だし、有益だと考えた。

 この地区の分譲マンションの数は、ざっと調べただけでも30ある。
 マンションの規模は数百戸という規模から、数十戸といったものまでさまざまである。当然管理組合(理事会)のあり方もその規模によっても異なるし、マンション管理の方法も内容もみな同じではない。もちろん築年数も異なるし、マンションの形状も千差万別だ。年齢構成だって様々である。駐車場についても平置きからエレベーター式・自走式等いろいろだ。
 こうなるとすべてのマンションが同一の基準では比べられないし、あるひとつのマンションで有効な実践が、他のマンションでも同じ成果が得られるとは限らない。まるで、環境や個性の違いを体現したひとりひとりの人間のようだ。だからこそ、それぞれの個性を尊重し、間違っても相手を否定するようなことがあってはならない。言うのは簡単だが、これこそが一番難しい。もちろん、連絡会に参加しないことも一つの個性として受け止める必要がある。

 2、3名の協力者を得て、すべてのマンションの管理人室に参加を呼び掛ける案内を配ることにした。参加対象は理事・理事長にこだわらない。マンション管理に関心のある人であれば誰でも参加可能にした(「呼びかけ」参照)。
 実際にマンションに出かけてみると、上述のような違いが身をもって感じられる。
 まずは管理人室を訪問するのだが、そもそも管理人に出会えない場合もある。管理人の勤務時間が限られていたり、いても巡回中や清掃作業中で出会えなかったりするからだ。自分のところ(8時〜17時)が標準かと思っていたけれど、とんでもない。午前中だけというところもあれば、9時〜15時というところもある。中には、24時間体制のところさえある。
 管理人がいれば簡単に会えるというものでもない。オートロック式のマンションは、通常は玄関扉の前か脇に管理人室の窓口があるものだが、それがなく、インターフォンで管理人を呼び出さなければならないマンションもある。管理人室の番号が書いてあればまだしも、(管理人室の呼び出しが多く、よく利用されるためか)印字が薄れていて判読不明で、呼ぶことすらかなわない。
 管理人の対応もいろいろだ。友好的に接してくれるところ、怪しいものを見る目で対応し、最後まで警戒を解かないところ、事務的・合理的に対応してくれるところ等さまざまである。これらは管理会社の指導方針によるかもしれないが、多くは管理人自身の個性なのだろう。
 どうしても管理人に会えない場合は、マンションの居住者ポストに入れることになる。もちろんすべてのマンションの理事長を把握しているわけではないので、管理組合のポストを探して投函する。しかし、そのポストすら見当たらない場合もある。通常であれば、ないはずはないのだが、インターフォンの場合と同様に擦り切れて見えなくなっている場合もある。
 そもそも、部屋番号以外に名札のついていないポストも少なくない。うちのマンションもそうなのだが、部屋にすら表札がないところもあるのだ。まして、ポストをやである。

 回収も管理人室を介して行うことにした。呼びかけを配るにあたっても苦労したが、回収はもっと難題だった。
 管理人がいなくてはどうにもならないのは上記の如くで、管理人の勤務時間内で、巡回・清掃に出ていない時間に訪問する必要がある。通常、勤務開始時間直後や昼の休憩前後、勤務終了間際のタイミングが当たりだ。ストライクゾーンは狭く、しかもバッターは一人ではない。いっぺんにすべてのマンションをフォローしきれないので、数次にわたる訪問が必要になる。
 そのうち管理人にも顔を覚えられ、「あっ、まだ来てないよ!」と声をかけられることすらある。こうなれば、御用聞きの要領だ。「まいど〜!」ってな調子でマンションを巡り歩く。
 こうして集めた集計結果が、協力者の分も含め13組合25人。地区に30組合あるのだから、3割以上の参加だ。なかなかの確率ではある。しかし一方、参加アンケートへの回答そのものが無視された例も多い。だから、不参加の届を出してくれただけでもありがたいと思わなくてはならないと、ひとり自戒した。
 電話やメールで、直接参加連絡をくれた方もいる。中には戸建ての住宅に住まわれている個人からのものもあった。もちろん喜んで受け入れたが、どうやら将来マンションに住もうかどうしようか考えている方のようだった。

 マンション連絡会の当日になった。
 すでに述べたように、13組合・24人+一戸建て1人=25人。前2回が同好会の感じだったのに比べると、ちょっとした企業の雰囲気。
 全参加者の自己紹介から始まり、時間の半分ぐらいをあてて、あるマンションから大規模改修工事について報告してもらった。そして残りの時間を自由協議に充てた。関心ある話題に従って、次から次へとテーマが変転していく。こちらから軌道修正の努力もしたが、それは最小限にとどめた。連絡会を出会いの場として、関心ある内容についてマンション間で直接つながりを持てればいいと考えたからだ。
 前回と同様、予定していた時間はあっという間に過ぎた。話し足らないこと、聞き足りないことは、今後当該マンションと連絡を取りあってくれることを期待した。そのための助力はこちらでする。その体制作りも今後必要になるだろう。それには参加者の協力も必要になる。
 最後に、連絡会の持ち方等についてを皆さんにたずねた。その結果、連絡会の頻度は3ヶ月に1回ぐらいが適当であること、会の名称は当該地区以外からも参加しやすいように、頭の〇〇地区を取り除くこと、戸建ての個人も参加しやすいように「マンション等連絡会」というように「等」を入れることとになった。

 自分が管理組合理事長になったときに掲げた3つの目標、「理事の半数改選、2年任期」「マンション管理士の導入」「地区のマンション管理組合の情報交換の場の設立」のうち、どうやらひとつだけは実現しそうだ。
(2018.7.10)



6.30リバティ・デモ

 わたしは「日の丸・君が代」処分取り消し第3次訴訟の元原告団の1人である。
 「日の丸・君が代」処分取り消し訴訟とは、当時の石原慎太郎都知事のもと、2003年10月23日付で発出されたいわゆる「10.23通達」により、東京都で働く多くの教職員が君が代斉唱時に起立斉唱しなかった、または君が代伴奏を拒否したことで処分を受けたことを不服として起こした訴訟である。
 第3次訴訟は2016年7月12日の最高裁決定(上告棄却・申し立て不受理)で結審した。これによって減給以上の処分取り消し(高裁判決段階で、都教委が上告しなかったため、すでに確定)が確定し、いっぽう、戒告の取り消しと損害賠償請求については認められなかった。これは2012年の同第1次訴訟の最高裁判決を踏襲したものである。

 教職員はたんに反対のために反対したのではない。児童・生徒に対して自らが加害者となることに耐えられない、あるいは自らの信仰にかけて従えない、または日の丸・君が代内実(歴史的な役割など)をどうしても受け入れることができない、在日2世・3世の教え子に対して自らが範を示すことは耐えられない、中には日の丸・君が代には賛成だが、強制することは認められないといった者まで実にさまざまである。
 ひとことで「信念」とは言って済まされない、ひとりひとりの現実がある。教職員はそれぞれ悩み苦しみ、迷った末に不服従を選んでいる。「通達」はそれほど理不尽なものだったのだ。
 そのうえ、不服従のあとには(考え方を変えるよう迫る=転向を強制する)強制研修が控えている。それも数次にわたる過酷なものだ。レポートを何度も提出させられる。更に不服従を貫くと減給・停職、ひいては解雇すら想定されたこともある。
 すでに述べたように、2012年の最高裁判決で(基本的には)減給以上の処分はできなくなったはずだが、それでも都教委は減給処分を下したことがある(さすがにこれは、4訴訟の地裁・高裁判決で取り消された)。
 減給・停職という処分がなければ実質的な賃金面での不利益はないかというと、決してそうではない。戒告だけであっても昇級に差し支えるし、退職金にも響いてくる。
 学校現場でも嫌がらせはある。現在の学校現場では卒業式に「日の丸・君が代」はつきものになってしまった(10.23通達以前はもっと自由で創造性に富んだものだった)。そのため、卒業学年の担当にはさせてもらえない、時には担任すら外されるという事態に追い込まれる。教育の理想に燃えて教員となった者が、担任外しという存在を否定されるがごとき扱いを受ける。子供たちに関わり、ともに生きたいと考える教員なればこその心情から発した行動が、自らの道を狭めさせられてしまう。これ以上の不条理はないではないか。
 これだけの不利益を覚悟しなければ不服従を貫くことはできない。それでも教育現場では毎年処分される教員が出てくる。それほどまでして抵抗するのは、通達があまりにも理不尽だからだし、自らの生き方を否定したくないからだ。

 「日の丸・君が代」処分とリ消し訴訟の闘いは今でも続いている。現在第4次訴訟が最高裁に向けて闘われているが、いっぽうの学校現場でも「日の丸・君が代」強制に対する不服従の火は燃え続けている。
 学校現場を離れて久しいが、伝えられるところでは、管理・規制はますます厳しくなり、教育労働の内容もますます過密になるばかりのようである。そのような状況において、声を上げ、主体的に教育活動に取り組むことはまことに厳しいものがあろうと容易に想像できる。管理職の指示のままに対応し、耳目をふさいで活動することが波風もたたず、自らにとっても過ごしやすいということにいうことになりがちだ。
 このような学校現場の現状を知ってもらい、それでも闘い続けている教職員がいることを知ってもらうため、第4次訴訟原告団有志は以下のような集会とデモを企画した。

  

   6.30リバティ・デモ

  
−「日の丸・君が代」強制と処分を跳ね返そう−

   日時 : 6月30日(土曜日)午後6時30から
   集会 : ウィメンズプラザ(渋谷)視聴覚室
   内容 : 講演「第4次訴訟の現段階」澤藤統一郎弁護士
   デモ : 集会終了後、原宿・渋谷を歩く予定
   主催 : おしつけないで!6.30リバティ・デモ実行委員会


 わたしも元原告団の一員として、またひとりの人間として、それでも闘い続ける彼らを応援したいと思っている。
※チラシ参照。クリックしてください。大きな表示に切り替わります。
(2018.6.20)



大阪地検特捜部に抗議電話を!

 知人から「大阪地検特捜部に抗議電話を! 06-4796-2200」というメールが届いた。

 みんなが安倍の仕業だと考えている。誰もが佐川を起訴しないのはおかしいと思っている。佐川のやったことは文書改ざんや隠蔽にとどまらず、証拠隠滅だ。実質、内閣と財務省の共同謀議だ。
 仲間内で憤懣を披歴し、共感しあってもどうにもならない。歯がゆく思っていたところだった。渡りに船とはこういうことだ。
 検察から電話があったことは過去にあるが(被疑者対象としてではない、念のため)、こちらから電話したことはない。少し身構える。その気になったときにやらないと、機を逸してしまいそうだ。
 たぶん抗議の電話で回線がふさがり、かかりっこないと踏んでいた。しかし、すんなりと受話器が取り上げられた。
 えっ! 抗議の電話が殺到してないの? 構えていた肩の力が抜けてしまった。
 気を取り直し案内係に「佐川不起訴の抗議です」と伝える。「担当者におつなぎします」との返事。すぐに抗議受付担当(?)の男の声で応答がある。以下は、その時の主なやり取り。

   わたし : なんで佐川を起訴しないんだ!
       佐川が起訴されないなら文書改ざんをどんどんしてやるぞ。
       そもそも財務省ならびに近畿財務局にがさ入れしたのか?
   検察  : 文書改ざんがなかったとは言っていない。
       今の法律では起訴できない。
       がさ入れをしたかどうかは答えられない。
   わたし : 地検の存在意義はないよ。
       検察審査会はきっと期待に応えてくれるはずだ。
   検察  : ……。

 ざっとこんな感じだった。相手は大阪だし長電話は料金もかさむので短く抑えた。
 何を言っても無駄だろうとは思ったが、とにかく抗議の声を相手にぶつけることが狙いだ。

 話しているときは気が回らなかったが、そもそもがさ入れなんかやっているわけがない。やっていればニュースになるはずだ。「答えられない」のではなく、やってないからそう言えないのだ。
 大阪と東京で場所は違うが、神戸製鋼にはデータ改ざんで強制捜査が入ったではないか(6.4時点ではまだ「家宅捜索する方針」のみ。6.5に強制捜査実施)。全容解明のための捜査だそうだ。文書改ざんとデータ改ざんの差はあるが、どうして財務省や近畿財務局に司直の手が入らない? 検察は全くやる気がないとしか思えない。

 そういえば、大阪地検はかつて証拠偽造という重大な罪を犯していた前科がある。厚労省元局長・村木厚子さんの「犯罪」を立証するため、フロッピーディスクのデータを改ざんしたものである。まだ覚えている人も多いと思う。詳しくはウィキペデアをご覧いただきたい。
 ウィキペディアにも書いてあるが、大阪地検は最後までごまかし・隠蔽・言い逃れをして、上層部への波及を食い止めるようと画策していた(最終的に刑事処分は、1人の主任検事と2人の特捜部長止まり)。2010年のことであるが、現政権内での不祥事、日大アメフト部の事件対応と少しも変わらない。
 自ら改ざんをしていた連中に、改ざん事件の起訴を期待する方がおかしいのかとさえ思えてしまう。泥棒に盗人の捜査をさせるような、笑えない笑い話だ。
(2018.6.4)



続・日大アメフト部の場合

 「日大アメフト部の場合」で、ぼくは次のように書いた。
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 もちろんこれだけでは、危害を加えた主犯が監督であると言い切ることはできない。状況証拠だけで犯罪行為を処罰されることは、本来ならできない。できないことをいいことに、次のような言い訳が成り立つのだろう。
 監督らは、「壊してこい」とは比喩である、退場後に注意を与えなかったのは試合に集中していたからだ、と言うだろう。加害選手も公式の場では、「反則をして来いとの監督の指示はなかった」と答えるだろう。だから、上記の説明が成り立つ。
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 あとの段落、前半の文についてはほとんどその通りの展開になった。しかし、後ろの文に関しては(嬉しいことに)期待を裏切られた。日大の加害選手は自ら記者会見し、名前と顔を明らかにし、自らの過ちを認め、監督とコーチの指示があったと説明した。
 逃げることなく正面切って謝罪する態度は(権力を持つ者と比較するまでもなく)立派というほかはない。

 加害選手の陳述書の全文を読んで、まず感じたのは「これは軍隊だな」ということだ。反論することも、説明を求めることもできず、ただ言われたままに動く。大学生になっても、指示のままに坊主にしなければならない。反則行為の後、激しく後悔して涙を流す。そのことをまた責められる。
 それは、皇軍と自らを呼んだ大日本帝国軍隊の内情を見るようだ。戦場での禁止行為(非戦闘員や捕虜に対する虐待・処刑・強奪・強姦等)を上官から命じられ、それを犯してしまった兵士が前非を悔い、慟哭する姿に似ている。

 加害選手の陳述は次のような言葉で締めくくられている。
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 たとえ監督やコーチに指示されたとしても、私自身が「やらない」という判断をできずに、指示に従って反則行為をしてしまったことが原因であり、その結果、相手選手に卑劣な行為でけがを負わせてしまったことについて、退場になった後から今まで、思い悩み、反省してきました。そして、事実を明らかにすることが、償いの第一歩だと決意して、この陳述書を書きました。
(以下、謝罪の言葉が続く。)【2018.5.23東京新聞
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 この文章を、権力を持つ者たちはどのように受け止めるのだろうか。
(2018.5.28)



日大アメフト部の場合

 人間なんて弱いものだ。過ちは隠したいし、発覚してもなんとかごまかしてその場を逃れたい。できれば無かったことにしてしまいたい。そんな気持ちは分からないではない。

 日本大学アメリカンフットボールの選手が、試合中、関西学院大学の選手に悪質な反則行為をした。録画として記録されているから、その事実は間違いのないところだろう。問題は監督が指示したのかどうかということになっている。
 関学側の抗議に対して日大側は、「監督の指示はなく、選手との間に乖離があった」と説明しているという。「監督は反則行為を指示などしていない。選手が指示を取り違えて反則に及んだ。」と言いたいのだろう。
 しかし、試合前の監督の指示内容(「壊してこい!」発言)、選手退場後の様子、加害選手の周囲への発言などから、指示はあったと推認されても仕方ないところまで来ている。
 もちろんこれだけでは、危害を加えた主犯が監督であると言い切ることはできない。状況証拠だけで犯罪行為を処罰されることは、本来ならできない。できないことをいいことに、次のような言い訳が成り立つのだろう。
 監督らは、「壊してこい」とは比喩である、退場後に注意を与えなかったのは試合に集中していたからだ、と言うだろう。加害選手も公式の場では「反則をして来いとの監督の指示はなかった」と答えるだろう。だから、上記の説明が成り立つ。

 事実の隠蔽、言い訳、口裏合わせ、逃げ隠れ、そして最後は開き直り。そういえば、スポーツ界では他の種目でも同じようなことがあった。いつも権力を握っているものの仕業だった。
 権力はいつでも腐敗する運命にある。だから、権力を握るものには一段と厳しい自己規律が求められる。並みの人々とは違うのだという自覚がないといけない。
 自らの関与を疑られて、「いつどこで指示したか明確に示していただきたい」(衆参両院予算委員会5月14日首相答弁)などとする開き直りはいかがなものか。自分が一般の国民と同様なのだと勘違いしているのだ。一方では「忖度ないとは言い切れない」(同前)と認めているのにだ。
 指示があったかなかったは重要だが、万が一指示がなかったとしても、「忖度」させてしまった権力者の責任は重大だ。日大アメフト問題も同じだが、指示が与えられたと秘書が一方的に思ったことが事実だとしても、そうさせたことが重大な過失だ。
 いっぽう、大衆のほとんどは指示があったと推認している。だとするならば、可能な限り当事者を集め、事実について問いただすのが筋ではないのか。日大アメフト部についていえば、利害関係のない第三者機関が聞き取り調査を行うべきだし、行政の問題は、国会がその働きをしなければならない。疑惑関係者を呼び、証人喚問して問いただし、徹底的に事実関係を明らかにすることだ。利害関係者である首相=自公政権が、その追及を妨害するなどということは厳しく批判されなければならない。

 人間なんて弱いものだ。過ちを犯すことはある。でも犯してしまった過ちは正直に認め、きちんと謝罪しよう。
 最後に、あまたの権力者に次の言葉を贈ろう。
  「過ちを文(かざ)る」
  (小人は過ちを改めずにつくろってよいように見せかけようとする。: 『広辞苑』)
(2018.5.18)

これ以前のデータは「つれづれなる風・四の蔵」に保存してあります。















































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