山をわたる風 二の蔵




   



保存データ:2017.4.28〜2019.12.1



これ以降のデータは山をわたる風をご覧ください。

バードウォッチング

 市の郷土博物館主催のバードウォッチングに参加した。これで通算4回目ぐらいになるのだろうか。ひとりでバードウォッチングに出かけることなどないから、なかなか鳥の名前すら覚えられない。それ自体がねらいではないから良いのだが、詳しい人同士のやり取りを聞いていると疎外感を感じないわけではない。それでも少しは知らなかった鳥の名前も覚えたし、指導してくれている講師の先生の話を聞くのも楽しい。
 会場の狭山公園までは自転車で行く。この頃自転車に乗っていても息が切れるようになってきた。狭山公園は村山貯水池を囲む狭山丘陵の一部なので、当然坂も多い。自転車では特に上り坂が厳しい。
 駐輪場に自転車を停め、グループに合流する。みなさん三脚を備えた望遠鏡やレンズの長いカメラを手にしている。こちらは50倍のデジタルカメラのみだ。これまでは双眼鏡も用意していたが、実用的ではないのでカメラだけにした。双眼鏡で鳥の姿をとらえ、カメラを持ち換えてシャッターを押すなどというのが面倒なのと、そんなことをしているうちに鳥が移動してしまい肝心の姿がとらえられなくなってしまうからだ。何より重量から解放されるのがいい。

 はじめに皆さんが注目したのがジョウビタキ。「ヒッヒッ」という声は何となく聞こえたが、ぼくにはその姿がとらえられない。先生の話によると、「ヒタキ」というのは火をおこす(火打石で打って?)こと、「ジョウ」というのはお爺さんのことだそうだ。この声は地鳴きで、縄張りを主張しているらしい。
 色づいた木々の隙間から、青空を優雅に旋回する鳥が見える。タカの仲間のハイタカだそうだ。あんな上空にいるのによくわかるものだ。自分にとってはトンビもタカもみんな同じに見てしまうのに。トンビと言えば少し歩いた宅部池(通称「たっちゃん池」)近くに来た時、参加者のひとりが「トンビが飛んでいる」と声をあげた。こちらは間違いなくトンビだったらしく、先生も同意したが、何がどう違うのか皆目わからなかった。
 ちなみに「たっちゃん池」というのは、(だれもが想像するとおり、)この池でむかし「たっちゃん」という子が溺れてなくなってからこう呼ばれるようなったのだ。この話はぼくも子供の頃から聞いて知っていた。その時は恐ろしい感じがしたものだが、「たっちゃん」の親にとっては酷な通称だったろうと、今では思う。その親もすでに亡くなってはいるだろうが……。

 サンショウクイという鳥の名も聞いた。初めてだ。鳴き声は聞いたような気もするが、はっきりした記憶ではない。「ヒリヒリ」という声で鳴くらしい。自分はジョウビタキの声と混同しているのかもしれない。山椒の実を好んで食べるからこの名がついたのではない。山椒の実をついばみ、辛くて出した声のようだかららいし。見る事はかなわなかったが、セグロセキレイが木にとまっているような姿だとか。
 近くの藪からはコジュケイの鳴き声が聞こえてきた。なんとこの鳥、外来種だそうだ。子どものころからこの声を聴いて育ったので外来種などとは考えもしなかった。

 先ほどの宅部池の近くで初めて画像をとらえた。ヤマガラ(写真@)。シジュウカラやコガラの仲間だそうだ。「ヤマ」がついているが住宅地の林で普通に見られる鳥らしい。腹が赤く染まっているのは、紅葉した周りの葉の色を映しているからではなく、もともとこのような色なのである。
 近くの橋から下の川岸を見るとキジバトが必死になってえさをついばんでいる。木の実だろうか、冬に備えて栄養を蓄えているのであろう。キジバトはこの辺で普通に見られる鳥だが、改めてカメラでとらえてみると、翼についたキジのような紋様が美しい(写真A)。
 反対の上流側の斜面の木立にモズがいるらしく声があがっている。はじめは良く分からなかったが、葉の落ちきった桜の木にモズが移動してそれと認識できた。すぐに移動してしまうから、とりあえずの一枚をカメラにおさめる(写真B)。
 ここで声がかかった。貯水池の竹林にオオタカがいるとのこと。この周辺での観察は取りやめ、急遽、村山貯水池(多摩湖)堰堤のある坂上に向かうこととなった。今いる所は貯水池の堰堤の下にある公園。堰堤までは標高差が20mから30mほどあるだろうか。坂を登るのはしんどいからここで引き返すことも一瞬考えたのだが、オオタカにも興味はある。どうせ上に到達したころには飛び立っているだろうと悲観的に考えつつもゆっくりゆっくりと足を運ぶ。後ろから来た子供に追い越されながら、「こんなはずではなかったのに……」と小声でつぶやきながら。
 堰堤の端にある広場には人群れができていた。もちろんわれらがバードウォッチングのグループだ。皆、向こう岸の水辺にある林の方を眺めている。バードウォッチング用の望遠鏡をのぞかせてもらう。それは一見フクロウだ。しかもほとんど動かない。森の仙人のような、置物のようなその風体は想像すらしなかったものだ。オオタカと言えば大空をゆったりと飛び回る姿しか頭になかった。早速カメラを構える。知らず興奮気味だったか、出来上がった画像は少しボケているようだ(写真C)。
 ここで講師の先生方のまとめのお話となったが、オオタカの姿があまりにも印象的だったので記憶に乏しい。講師の先生の1人が新たに野鳥図鑑を出版されたとの発表があったのが頭に残っている。『街・野山・水辺で見かける 野鳥図鑑』(日本文芸社)ここで宣伝させていただく。
(2019.12.1)
@


A


B


C




三湖台

 新道峠に行った帰り、河口湖・西湖の北岸を走り紅葉台に車を走らせる。新道峠はともかく、紅葉台ヤ三湖台は車で頂上近くまで行くことができ、見晴らしまではハイキング気分で「らっくらく」だと考えていた。※新道峠については「山のページ」参照

 悪路をこなして山頂のレストハウスに到着。前は確か無料で屋上に登れたが、今は200円徴収するという。
 「以前は無料だったよねぇ〜」と聞くと、「それは20年以上前のこと」との返事。そうかそんなに来ていなかったのかと、改めて時の流れの速さを実感。
 展望台といっても2回+αぐらいだから、息は切れるが何とか登れる。それに200円払ったんだから意地でも登らねば。
 入場料の代わりというわけではあるまいが、屋上からの展望図が渡される(これは降りてきた時回収)。あとで聞いた話だが、お客さんが描いたものだそうである。そこそこ正確にできていると思われる。レストハウスの屋上を中心に南は富士山西は竜ヶ岳・南アルプス。北には王岳・節刀ヶ岳から黒岳に延びる稜線。三ッ峠から山中湖方面の山々(正確には覚えていないのだが……)。

 レストハウスを出て三湖台にむ向う。前述したようになだらかなハイキングコースという思い込みがあった。実際、当時の自分にとってはそうであったに違いない。
 ところが息が切れること半端ではない(「ハンパない」と言うのが今風か?)。たいした急阪でもないのに胸が押しつぶされるよう。これが山道であればまだしも、普通の観光客が行き来するルートだから足も気分も重くなりがち。
 それでも何とか三湖台に到着。平日にもかかわらず、それなりの数の人が集まり、食事したりおしゃべりしたりしている。振り返れば富士山が林の向こうにせり上がっている(写真@)
 こちらも腰を下ろして水分補給とパンをかじる。すると鈍く低い轟音が遠くから聞こえてくる。音のする方向を見ると3機の灰色の機体が超低空で河口湖方面からやってきて、騒音をまき散らしながら本栖湖あたりで南に進路を変え飛び去って行く。
 自衛隊の演習が北富士でやっているときには、ドーン、ドーンという砲撃音が聞こえて来て気分を悪くさせる。今日は静かだと思っていたらこのざまだ。爆音が消えたと思ったら、また1機、別の飛行機がやって来た。前のよりも少しは上の方を飛んでいる(写真A)。よく見ると日本のやつではない。アメリカ軍の飛行機だろう。我が物顔で日本の、しかも世界有数の観光地を、まるで物見遊山でもするように超低空で飛び回る。「ここはアメリカか!」と言いたくなる。地元の自治体は抗議すらしないのか、あまりニュースにもならない。こんなことが行われていることをたくさんの人に知ってもらいたいと強く思った。

 新道峠では見かけることのなかった花が、ここにはあった。アザミだ。かなり枯れかけてはいるが、まだ色を残している。せっかくだから富士を背景にシャッターを押した(写真B)。
 写真Cは樹海と、王岳・三方分山に連なる山塊の向こうに見える南アルプス(北岳〜聖岳・茶臼岳、笊ヶ岳など)。
(2019.11.6)
@


A


B

C




ヤマユリ(山百合)

 「ヤマユリ」と聞くと、いやでも3年前の出来事を思い出してしまう。悲しいことだ。
 友人から近くの森にヤマユリを見にいかないかと言われた時に、とっさに連想してしまった事件だ。今そのことについて書く気はないが、園の名前につけるほど我々の身近にある花ではある。
 個人的には好きな部類の花ではないが、自然の草花では香も強く派手やかで見ごたえがある。それに嬉しいお誘いでもあったので同行させてもらうことにした。
 梅雨時特有のじっとりした空気と今にも振り出しそうな天候の中、目的地の狭山丘陵に向かう。
 山岳と比べれば標高差もほとんどなく、通常の体力があれば難なく歩けるところだが、今の自分にとってはそうはいかない。幸いヤマユリの咲いているところまではほぼフラットだったので助かった。
 目的地には「群生」というほどではなかったが、花開いたヤマユリが何本も見られた(写真@〜A)。今年はどの花も遅れがちで、まだ蕾のものもあった。
 この後、ウバユリ(姥百合)とキツネノカミソリ(狐の剃刀)を見るため別の場所に移動したのだが、やはりほとんどが蕾の状態だった。代わりに深紅のヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)が藪の中に見られた(写真B)。
 狙っていた残りの2つの花は見られなかったが、移動途中、所々にヤマユリの花が立ち上がっているのを見つけた(写真C)。どんよりとした空気の中で、そこだけ盛夏を先取りしているかのようであった。
(2019.7.23)


@


A


B


C




すずらんの里

 笛吹市芦川町(かつての芦川村)のすずらんの里に出かけた(あわせて富士山を見るために、同町の新道峠にも出かけたが、雲に囲まれ展望は得られず)。
 例年より開花が遅れており、10日ほど前の「すずらんの里祭り」ではまだ充分な開花が得られなかったとか。しかも今年は花つきもよくないとの情報を事前に得ていた。
 群生地に行ってみると、確かに以前見た時と比べて花の数は寂しいような気もした。それでもスズランの花が多いところでは、白樺の林の中に甘やかな香が漂っていた。
 群生地には他の山野草も見られる。中には白いイカリソウ(錨草)も見られた。まさかスズランの白に感化されたわけでも無いだろうが……。
(2019.5.30)


@


A


B



狭山丘陵

 昔の山仲間が、山登りが出来なくなったぼくを誘い出してくれた。場所は双方の家からすぐそばの狭山丘陵。

 山登りに明け暮れたいたころ、ここは日常的なトレーニングの場であった。
 丘陵だからいたるところに坂がある。もちろんあっという間に登れてしまうような標高差だ。そこを何度も上り下りしていた。
 外周を歩き通す時間をできるだけ短くすることに喜びを見出していたこともある。ザックにレンガを入れて負荷をかけ、毎日歩いていた時もあった。
 「狭山アルプス」などと勝手に名付け、「縦走」に挑戦した。これをきっかけに、付近の山や丘陵を「〇〇アルプス」とか名付け、また「ウルトラハイキング」とか称して超長距離の山歩きに踏み出したものだ。
 今ではそのわずかな標高差にすら息切れしてしまう。平地を歩いていても同じような症状があるのだから、あたり前と言えば当たり前の話だ。

 この日の目当てはシュンランだった。足元に自生しているシュンランを眺めながら、一歩づつ坂を上る。写真を撮ったり、シュンランを見つけたりすることがいいリズムになって息切れも少ない(シュンランの写真は「山のページ」中、「山の花」をご覧ください)。
 やっとたどり着いた丘の上は、コブシの花が満開だった(写真@)。この日の気温は高く、まるで桜の花を見ているような雰囲気であった。
 更に歩くとウグイスカグラ(写真A)が散策路に張り出している。いつかどこかの山で見かけた花だ。こんなところにも咲いているんだ、と嬉しく思った。
 友人はさらに見晴らしの良いところに連れて行ってくれるという。案内に応じ付いて行くと、確かにそこは丹沢山塊から五日市の馬頭刈山あたりまで見渡せる好ポイントであった(写真B 写真をクリックすると更に大きくなります)。

 狭山丘陵、なかなか捨てたものではないぞ!
(2019.3.24)


@


A

B






奥四万湖の青

 四万温泉街を流れる四万川、街から更に上流に遡っていくと、巨大な構築物がある。四万川を堰き止め、満々と水をたたえる四万川ダム(写真@)だ。
 紛らわしい話だが、四万温泉からずっと下流には「四万ダム」という名のダムがある。県営中之条発電所の中之条ダムが堰き止めてできた湖だ。人造湖の名前は「四万湖」という。
 いっぽうこちらのこちらの「四万川ダム」は治水を主目的に造られているが、発電も併せて行っている多目的ダムであるらしい。このダムによってできた人造湖の名称は「奥四万湖」という。

 自然の中に圧倒的な存在感を持った人工物があることに、違和感を覚える人は少なくないのではないか。
 このようなものが出来たことで、多くの人たちに計り知れない影響があったことだろう。その「影響」の中には、負の要素もあれば益の要素あるだろう。
 ダムが造られる前、建設中、また造られた後においてさえも総合的な検討や協議が行われたろうし、そうあらねばならないだろう。なかでも地元住民の意向は尊重される必要がある。
 自分が廃プラ施設問題に関わりだしてからは、このような公共の建造物を見ると、特にそう感じるようになった。

 話を四万川ダムに戻す。
 四万川は、かつて「暴れ川」と言われ、台風や豪雨のたびに流域の住民に多くの被害を与えてきた。この日投宿した旅館で訊いた話だが、大雨が降るごとに四万川が氾濫し、付近に被害が出ていたとのこと。この宿では湯殿にある大岩のおかげで流れが変わり、難を逃れたそうだ(その大岩がこの旅館のシンボルにもなっている)。
 四万川ダムはこのような水害対策のため、治水目的で建設された。もちろん現実は地元の利害や国や県の権限、建設資本の利権や思惑などが複雑に絡み合って進行していたプロジェクトだろう。
 それらをはるかに想像しつつも、ダムの造形的な美しさや自然の持つ神秘さには、心が動かされること抗いがたい。
 ダムそのものは城塞のような佇まいを見せて聳えていが、どこか人懐っこく感じられる。意図してかどうかは分からないが、人を寄せ付けないいかめしさや冷たさではなく、柔らかで親しみがあるのだ。それは昔見たアニメの秘密基地のようでもあるし、西洋の古城のようにも見える。
 全体的には直線的の組み合わせでできているが、その壁面には複雑な模様が刻み込まれている。例えていうなら、日本の城の石垣のようだ。また、ダムの上の歩道にある手すりには、曲線が多く用いられていたりする(写真A)。歩道側面には地元の小学生たちが作成した陶版画が
飾られている。
 貯水された湖面の色は神秘的な青だ(写真B)。「コバルトブルー」などと表現されることもあるが、季節によって多少見え方に違いがあるらしい。ちなみに、この色は下流の四万湖でも同じである。
 湖畔の掲示にはその理由が書かれていたが、実はよく理解できなかった。ただ水質は酸性で魚は生息していないらしい。ダムから覗き込んだ水面は見た目には深くきれいな青で、表面はきらきらと午後の日差しに照り映えていた(写真C)。

 例年よりも暖かいせいだろう、遠くの山の雪はすでに消えかけ、地肌がかなりのぞいていた。ぼくにとっては、体力的にも心理的にも、それは手の届かないものになっている。
(2019.3.20)


@


A


B


C




三十槌の氷柱

 ロウバイと氷柱を見に行こうと、仲間と秩父までドライブすることになった。ロウバイは毎年のように出かけていたが、氷柱見物は初めて。
 ここ数年、滝の氷結を含めて氷柱見物が話題になることが多い。さらにはサイトアップまでして、観光客を集めようとしているところも少なくない。三十槌の氷柱も例外ではない。
 ここは、夏場はキャンプ場として人が集まるところで、冬場の集客を狙って氷柱見物を仕組んだようだ。したがって、ここは民営の観光地。それにしては施設もきれいで整っている。オーナーの営業姿勢の表れなのだろうか。
 もともとここには自然の氷柱(写真上)がある。それを見ただけでも結構な迫力がある。しかし、人間の欲望にはきりがない。天然ものを上回る規模の氷柱を作り上げるべく、上から水をかけて人工の氷柱(写真下)を完成させたということなのだろう。さらに客集めのためにライトアップまで始めた。
 天然ものにはそんな演出は施されてはいない。そのほうがむしろ好ましい。そもそも自然の造形にライトアップまですることには疑問がある。天然・自然はいつも控えめで、文明からは疎外されがちだが、それでこそ自然な姿だ。
(2019.2.4)










バードウォッチング その2

 昨年2月のバードウォッチングは素敵だったが、同じ年の春に参加した時は、大した感慨もなく終わった。それもそのはず、新緑の林は気持ちがいいが、鳥を見るにはふさわしい環境ではない。その後、バードウォッチングに行く気も失せていたが、紅葉もそろそろ散ろうというこの季節となって、地元の博物館主催の募集を目にし「もう一度」という気になった。だから正確には、3回目のバードウォッチングということになる。

 貯水池がある丘陵の一画が自然公園となっている。今回はそこがフィールドだ。前回、前々回は天体観測用の(と決まっているわけではなく、自分がそのつもりで購入したに過ぎない)でっかい双眼鏡と、望遠50倍のデジカメを持って行ったが、双眼鏡を覗いて標的を把握し、デジカメを取り出してシャッターをきるという動作が面倒だったので、今回はカメラだけにした。もともとデジカメの性能がいいので、これだけで鳥の姿を充分視野に確保できるということもあった。
 参加者は50人近く、かなりな盛況だ。これだと鳥が驚いて逃げてしまう。といっても素人のぼくなどが、ひとりフラッと行って見つけられるものでもない。見つけたとしても何の鳥かは分からない。
 案内役は大学の先生や野鳥学会の会員さん。みんなバードウォッチング用の望遠鏡を三脚つきで状態で担いでいる。見た目だけでも頼りがいがあるお姿だ。
 紅葉すすむ林を抜け、ため池のような小さな池のほとりに出る。近くの林から鳥の声がさかんに聞こえてくる。しかし姿は見えない。
 遠くの枝先にとまったヒヨドリや近くの木にいるキジバトを案内人は紹介する。ヒーヨヒーヨと鳴く姿は家の近くでもよく見かけるが、ヒヨドリは海外では珍しい鳥らしい。少し見直してやらねばなるまい。
 遠くの空を弧を描いて飛んでいる鳥がいる。「おっ、オオタカだ」との声に皆一斉に同じ方向を向く。「いや、ハイタカだ」との訂正の声。「ん?、ハ・イ・タ・カ??」、「ハゲタカ」ではない。案内人が図鑑を出して説明してくれる。オオタカと比べ(と言っても、詳しく知っているわけではなく、その姿を何となくイメージしているだけだが、)幾分黒っぽいか……。枝にとまっているならまだしも、はるか上空を舞う鳥を見て判断できるのだからすごい!
 近くの木にツグミが止まっているという声。はじめはなかなか見つけられなかったが、やっと発見(写真@)。水浴びをした後か、羽繕いをしている姿も捕らえられた(写真A)。
 次に教えられたのがモズ。やはり近くの木にとまっている。モズのはやにえ(早贄)のイメージからは程遠く、丸々していて、まるでかわいい達磨さんだ(写真B)。モズは他の鳥の鳴きまねも上手らしい。「百舌」と表記されるのもそのためであると教えられる。いつも感心させられるが、案内人はなかなか博識である(というより、自分が浅学なのか!)。
 小川が流れる岸辺で小鳥が一斉に下降し、また飛び上がっていく。水浴びでもしているのか、それともエサがあるのか。今年はシメの当たり年だという(このあたりだけのことか、全国的になのかは訊きそこねた)。確かにレンズを向けると簡単に捉えられる(写真C)。
 何か懐かしさを感じると思ったら、山でよく見かけたイカルという鳥とよく似ている。頑丈な嘴を持っている。彼らが木の実を食べると、その頑丈な嘴でつぶしてしまうため、種が根付くことはないそうだ。
 北からの渡り鳥らしく、このあたりでは冬鳥だが、北海道では夏鳥らしい。ということは、野鳥撮影を趣味とする北海道の友人の見たシメが、今こうして目の前にいる可能性もある。そう思えば、なんと感動的なことか。
 第1回目のバードウォッチングで見かけたアオゲラもいたようだが、残念ながらぼくのカメラではとらえられなかった。わずかにシルエット(逆光だったため)のみの画像はあるが、ここでお見せするものでもない。
 観察時間は3時間弱だったが、前回、前々回よりは脚に疲れがたまり、呼吸も苦しくはなった。少しづつだが、老化と心機能の低下は進んでいる。
(2018.12.2)


@


A


B


C




笠山

 堂平山は山頂まで車で行ける山だ。今のぼくにとっては、手っ取り早く山頂の空気を味わうにはうってつけの所だ。
 前回ここに来たときは途中の峠に車を停めて、そこから笠山を目指し、更に歩いて堂平山にやってきた。「途中の峠」とは、笠山と堂平山の間にある峠だ。それでも自分にとっては不甲斐ない気がしていたのに、今回は山頂まで車でやってきた。
 あれは何年前だったろうか。年単位で心肺機能が落ち込んでいる。どこまでいけば低下が止まるのか、それを考えると不安にもなる。しかし、そう考えて何もしないでいると、どんどん内向きになってしまう。山の空気が吸いたいだけでもいい、そんな気持ちになっときには、車を使ってでも出かけることにしている。
 写真上は堂平山から見た笠山。下は堂平山山頂からの眺め。
(2018.11.2)


堂平山山頂360°画像
181102堂平山 - Spherical Image - RICOH THETA



パノラマ台

 富士山は近く行ったからといってお目にかかれるものではない。関東の平野部が快晴でも、富士山の周りは雲が湧きやすく(それがまた、格好のシャッターチャンスになる場合もあるが)、意地悪をしているように本体を覆い隠してしまう。この日も山頂から山腹にかけて雲が湧いては流れていた。
 猛暑が続いたとはいえ8月も晦日、標高1000mを超せば、さすがに秋の気配が漂い始める。富士の姿は雲に隠れても、ススキの穂が風になびくさまは風情がある。日差しこそ強いが、確実に夏の終わりを告げている(写真@)。
 そのススキの原に面白いものを見つけた(写真A)。もちろんただの道路標識だが、道路がススキで隠れているので、何か含意を読み取ることも出来そうだ。
 あなたなら、どのような意味を見出すだろうか。
 これが「!」だったら、「Y」だったらと想像は尽きない。
(2018.8.31)


@


A




ガビチョウ(画眉鳥)

 「天は二物を与えず」という。体は地味な茶色だし、目の周りの白い隈取も決していただけるものではない。しかしその鳴き声は素晴らしい。
 初めてその姿を見たのは御岳山の参道(「山のアルバムBN6」11.2.15)。その声を聴いたのは狭山丘陵でだった。そんなに昔のことではない。はじめはそれら2つが結びつかなかった。
 狭山丘陵でその鳴き声に接した時には、深山で聞くような鳥の声が、人里近くで聞けたことに感動したものだ。
 昨日はカメラをぶら下げて狭山公園(東村山市)に出かけた。緑地内の林に入るとかの美しい声が聞こえてくるではないか。しかもすぐそばに。
 あわててレンズを構える。まさかこんな簡単に写せるとは思わなかった。大きく嘴を広げてさえずっているさまも見られる。これは大収穫だと、意気揚々と帰路についた。

 ガビチョウが在来種でないということは、御岳山で見かけたときに調べて知っていた。野鳥の図鑑にガビチョウは載っていない。
 自宅に戻ってからさらに調べて驚いた。他の鳥の鳴き声を真似ることも多いそうだ。中国でペットとして珍重されていたものが日本にももたらされ、野生化したものらしい。クロツグミ・オオルリ・ルリビタキ・ウグイスなどを真似る。
 素敵な声をコピーできることは一種の才能だ。そのことが評価され飼育が進んだのだろうし、同じことが災いして放鳥されたりしたのだろう。特定外来生物として指定されている。身勝手な人間の犠牲者ともいえる。
 そういえば、同じ林の中でウグイスもさえずっていた。もしかしたらあれもガビチョウだったのかもしれない。
(2018.4.28)








山中湖パノラマ台と二十曲峠

 友人を誘って山中湖畔にあるパノラマ台に出かける。「呼吸が苦しく山には登れない。下で待っているから遠慮なく山頂まで行ってきてもらってかまわない。」という「但し書き」付きの勧誘だったが、登頂にこだわりのない友人は、別に行かなくてもかまわないとの返事。まんざらぼくに対しての遠慮からの言葉でもなさそうだったので、ありがたくそのご意向に乗っかることにした。
 
 実はパノラマ台には昨年もこの友人と来たことがある。ダイヤモンド富士詣だ。昨年2月、富士山頂に沈む夕日を期待して、午後から出かけた。山中湖に近づくにつれてパラついていた小雨は、パノラマ台では小雪となった。しばらく待てば雲が切れて、一瞬でも見られるかもしれないという希望的な観測も空しく、雪は強くなるばかり。未練を引きずりながら帰途についた。だから今回は昨年の轍を踏むわけにはいかなかった。

 昨日から連続4日間ぐらい、日本列島は大きな高気圧に覆われる気象予報で、好天が保証されていた。しかし空は晴れいても、独立峰である富士山はいつ雲がわいてきても不思議はない。これまでにも、天空は晴れでも富士山だけに雲がかかっているということは珍しくなかった。だから現地に到着するまでは決して予断を許されない。
 予定時刻にはパノラマ台に到着。結果は写真@の通り。雲ひとつなく、絶好の展望が得られた。
 「本当はこう見えるはずだったんだな」とは友人の言葉。めでたくも、前回の雪辱(リベンジ?)が果たされた結果となった。
 互いに気をよくして写真を撮り始める。ちょうど満開を迎えていた桜の花を取り込んだり、山中湖を入れたりしてシャッターをきる。そうしている間にも次々と車がやってくる。平日の昼間だというのにすぐに駐車場は満杯になる(写真A ※後方の小山は「鉄砲頭の頭」)。パノラマ台の駐車場は狭いが、いつまでもそこにとどまっている車は少ないので、入れ替わりに別の車が駐車する。ぼくらが到着した時もかろうじて1台停められるスペースがあったくらいだ。
 こんないい天気なのでいつまでもいたいところだが、写真を撮るにも限りがある。時間もに余裕があったので、次の目的地に向かうことにした。

 次の目的地は二十曲峠。山中湖の周りにある杓子山と石割山の間にある峠だ。まだ山に通っていたころは、何度もここに車を停め、石割山や杓子山に登ったものだ。どちらの山も富士を眺めるには格好の場所となっている。また、道路際のために観光地化しているパノラマ台よりは、山の雰囲気を強く感じられるところである。
 二十曲峠に行くには、山中湖の北岸の道路を走る。途中には湖畔から富士山を望めるビューポイントがある。駐車場も完備しているので少し立ち寄ることにした。
 山中湖の湖面が凪いでいれば逆さ富士が見られたであろうが、あいにくこの日はさざ波が立っていてそれは無理。しかし湖の反対側には広大な富士山がすそ野を広げていた(写真B)

 湖畔を離れ、忍野村に向かい、途中から林道に入る。パノラマ台を出てから30分ほどで二十曲峠に着く。
 ここからの富士山も味わいがある。幸い雲も湧くことなく、前二箇所からの富士山と同じ姿を望むことができた(写真C)。
 パノラマ台も二十曲峠も標高は1000m台だ。二十曲峠のほうが若干高いが、富士山からの距離は遠くなる。目の前に富士が望めるパノラマ台と比べればひけを取るが、その分自然は豊かだ。最近ではバイオトイレも整備された。
 先にも記したが、より高い山に登るには、こちらのほうが適している。この日も登山目的で訪れてている車も含め、数台が停まっていた。もちろんパノラマ台のような混雑はない。
 山に登ることは(でき)なかったが、ここでもシャッターをきり続けた。間近に小鳥のさえずりが聞こえる。山の中に来たんだなあという懐かしい感覚がよみがえる。
 二十曲峠で昼食をとることにした。テルモスにお湯を入れてきたので、コーヒーを入れて飲む。山で飲むコーヒーも久しぶりだ。時間に余裕があるのはいい。何をやっても心豊かに感じられる。
 富士の展望を得られたことにもまして、山でのひと時をゆったりと過ごせたのが何よりだと思えた。
(2018.4.20)


@


A


B


C



※パノラマ台の360度全天周画像をご覧になりたい方は、下の画像をクリックしてください。
180420山中湖パノラマ台 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA



いちめんのカタクリ

 山村暮鳥の詩に「いちめんの菜の花」というのがある。ここにいると、ついその詩を口ずさんでしまいそうになる。
 東京都瑞穂町のさやま花多来里の郷(さやまカタクリのさと)という公園。小高い丘のような林に無数のカタクリが群生している。
 もともと自生していてもおかしくない所だが、これほどの大群落になるためには保護、育成が必要だろう。そんな疑問を感じさせないくらいに見事だ。

 山に通っていたころ、たったひと株見かけただけでも感激していたというのに……。
(2018.3.29)





天神平

 谷川岳はなじみ深い山だ。春から秋の日帰り登山は言うに及ばず、積雪期に避難小屋どまりで縦走したことや、カモシカ山行もやったことがある。霧が深いときにブロッケンも見た。あれは大障子の頭の避難小屋だった。背後となる東からから朝日が差し、西の霧の中に自分の陰が光背を得て映り込んでいだ。
 沢筋からの急登も何本も登った。谷川温泉から中ゴー尾根を使い谷川岳に到達したり、魚野川方面から茂倉新道を経て茂倉岳へ登ったり、同じく魚野川方面から吾策新道を経て万太郎山へ達したり、毛渡沢から平標新道を使い平標山登ったのもいい思い出だ。
 山頂部は雪でも、沢筋には春の花が顔をのぞかせている。里の新緑と稜線の雪の白が、紺碧の空の下に輝いていた。

 「近くて良き山」と深田久弥が言ったとか。確かに行きやすく、バリエーションに富んだ山だ。雪も多い、谷も切れ込んでいる。ぼくはやらなかったが、岩登りのメッカでもある。そんな谷川岳の稜線を歩くことはもうないだろう。
 今日はロープウエーで上ってきた。天神平はスキー・スノボの天国だ(写真@)。正面には白毛門や笠ヶ岳・朝日岳方面の山塊がどっしりと横たわっている(写真A)。笠ヶ岳の避難小屋に泊まった時は雪を溶かして調理に使ったが、なかなか溶けず苦労した記憶がある。白毛門では、下山時に危うく滑落遭難の一歩手前だった。しかし幸運にも、すぐ近くの岩に当たって止まったから事なきを得た。親にはとても話せることではなかった。

 谷川岳は思い出深い山だ。
(2017.4.28)



@


A

これ以前のデータは「山をわたる風・一の蔵」に保存してあります。



inserted by FC2 system